大戦後の世界とアジア:パリ講和会議・民族自決・国際連盟・ワシントン会議をわかりやすく
※ この記事は上の授業動画の内容をテキストで整理したものです。
この記事でわかること
- 第一次世界大戦のあと、パリ講和会議で何が決まったか(ベルサイユ条約・民族自決・国際連盟)
- 1919年に朝鮮・中国・インドで起こった運動が、それぞれ何を求めたか
- パリ講和会議とワシントン会議を「何について話し合ったか」で見分ける方法
まず、第一次世界大戦のおさらい
第一次世界大戦は、1914年に始まって1918年に終わった戦争です。ドイツやオーストリアの側と、イギリス・フランスなどの連合国の側に分かれて戦いました。日本はイギリスと同盟を結んでいたので、連合国の側に加わりました。結果は、ドイツの側の負けでした。
この記事は、戦争が終わったあとの話です。世界は「もう戦争をしないしくみ」をつくろうとしました。同じころ、アジアの人々も立ち上がります。
会議や条約の名前がたくさん出てきて、「ごちゃごちゃになりそう」と思うかもしれません。でも大丈夫です。最後まで読めば、2つの大きな会議を「何について話し合ったか」で見分けられるようになります。
先に、この記事で出てくる流れを年の順に並べておきます。
- 1919年 パリ講和会議(ベルサイユ条約)
- 1919年 アジアで民族運動(朝鮮・中国・インド)
- 1920年 国際連盟ができる
- 1921〜22年 ワシントン会議
負けたドイツはどうなったか:パリ講和会議とベルサイユ条約
戦争に勝った国々は、負けたドイツをどうしたのでしょうか。
1919年、フランスのパリで、戦争の後始末を話し合う会議が開かれました。これをパリ講和会議といいます。「講和」とは、戦争をやめて平和にもどる約束のことです。
この会議で、ドイツとの間に条約が結ばれました。これをベルサイユ条約といいます。ドイツは、次の4つの重い条件を負わされました。
- すべての植民地を失う
- 本国の領土の一部を失う
- ばく大な賠償金(戦争の損害のつぐないのお金)を負う
- 軍備を制限される(軍隊を小さくさせられる)
こうして4つ並べると、かなり重い条件だったことがわかります。
同じ1919年、ドイツでは新しい憲法ができました。ワイマール憲法です。働く人が団結する権利や、人間らしく生きる権利(社会権)を、世界で初めて定めた憲法でした。
民族自決という考え
パリ講和会議では、これからの世界の考え方として、ある言葉が打ち出されました。民族自決です。
漢字を見ると、「民族が、自分で、決める」。そのままの意味です。
民族自決とは、それぞれの民族のことは、ほかの国に決められるのではなく、その民族が自分たちで決めるべきだという考えです。 唱えたのは、アメリカのウィルソン大統領でした。
負けたドイツやオーストリアなどは、自分の国の中に、いろいろな民族をかかえていました。その人々にとっては、「自分たちの国をつくれるかもしれない」と思える考えでした。
では、この考えは、世界のどこにでも当てはめられたのでしょうか。
考える手がかりがあります。戦争に勝った国の中にも、植民地を持つ国がありました。
- インド → イギリスが支配していた
- 朝鮮 → 日本が1910年に併合し、植民地にしていた
勝った国は、自分の植民地を手放したいと思ったでしょうか。そこを考えながら、次の問1を見てみましょう。
問1:民族自決はどこに当てはめられたか
問1
(1)「民族自決」とは、どんな考えですか。
(2) 地図を見て、この考えが実際に当てはめられた地域と、当てはめられなかった地域を答えましょう。
問1の図は2枚の地図です。
- 左の地図は、戦争が終わったあとのヨーロッパです。ポーランド・チェコスロバキア・ユーゴスラビアの3か国に色がぬってあります。地図のすみの説明には「色をぬった国=大戦後に新しく独立した国」と書いてあります。この3か国のあたりは点線で囲まれていて、「東ヨーロッパ」という地域名が書いてあります。
- 右の地図は、同じころのアジアです。朝鮮に「日本の植民地」、インドに「イギリスの植民地」と書いてあります。
答え
(1) 民族のことは、その民族が自分たちで決めるという考え
(2) 当てはめられた:東ヨーロッパ
(ポーランド・チェコスロバキア・ユーゴスラビアなどが独立)
当てはめられなかった:アジア(やアフリカ)の植民地
(朝鮮・インドなど/国名で答えても正解)
【注意】
民族自決は、戦争に勝った国の植民地には当てはめられなかった
解き方
(1) 「それぞれの民族が、自分たちのことを自分たちで決めるべきだという考え」です。「自分たちで決める」が入っていれば正解です。
(2) まず左のヨーロッパの地図です。色をぬった国は、大戦後に新しく独立した国でした。ポーランド、チェコスロバキア、ユーゴスラビアです。このあたりを東ヨーロッパといいます。
主にオーストリアなど、負けた国の領土だった東ヨーロッパの地域では、民族自決の考えにもとづいて独立が認められました。だから、当てはめられたのは東ヨーロッパです。国の名前で答えても正解です。
次に右のアジアの地図です。朝鮮は日本の植民地、インドはイギリスの植民地で、どちらも独立できていません。日本もイギリスも戦争に勝った国で、自分の植民地を手放しませんでした。だから、当てはめられなかったのはアジアの植民地です。「朝鮮・インド」と国や地域の名前で書いても正解です。
地図にはありませんが、アフリカの植民地も同じで、独立は認められませんでした。地図に無いので、答えに「アフリカ」が入っていなくてもかまいません。
「え、『民族自決』と言ったのに、アジアの国は独立できなかったの?」と思った人もいるでしょう。そのとおりなのです。
注意:民族自決は、戦争に勝った国の植民地には当てはめられなかった。
当てはめられたのは東ヨーロッパの地域にとどまり、アジアやアフリカの植民地には当てはめられませんでした。勝った国の植民地だった朝鮮やインドは、その例です。
それでも、「自分たちのことは自分たちで決める」という言葉は、アジアの人々の耳にも届いていました。この言葉に期待した人々が、1919年、声を上げ始めます。
1919年、アジアの民族運動:朝鮮・中国・インド
1919年、アジアの3つの地域で大きな運動が起こりました。
朝鮮:三・一独立運動
3月1日、独立宣言が読み上げられ、人々が「独立万歳」と叫ぶ運動が、朝鮮全土に広がりました。日付から、三・一独立運動といいます。求めたのは、日本からの独立です。
日本が朝鮮を治めるために置いていた役所である朝鮮総督府は、この運動を武力でおさえこみました。
中国:五・四運動
中国の話は、少しさかのぼります。大戦中の1915年、日本は中国に「二十一か条の要求」を出していました。その中に、ドイツが中国の山東省に持っていた権利を日本にゆずれ、という要求がありました。
そしてパリ講和会議で、この権利を日本が引き継ぐことが認められてしまいます。5月4日、北京の学生たちがこれに反対して立ち上がり、運動は全国に広がりました。これが五・四運動です。求めたのは、山東省の権益を中国に返すことです。
インド:ガンディーの非暴力・不服従
イギリスは、戦争に協力すれば戦後に自治を認めると、インドに約束していました。しかし、その約束を守りませんでした。
そこでガンディーは、暴力を使わず、イギリスの支配に従わないという抵抗を広げていきました。これを非暴力・不服従といいます。
国際連盟:戦争を起こさないためのしくみ
アジアの人々が声を上げていたころ、世界は、戦争を二度と起こさないためのしくみをつくっていました。それが国際連盟です。
今の「国際連合」と名前が似ていますが、別のものです。
国際連盟は、パリ講和会議でつくることが決まり、1920年にできました。国どうしの争いを、戦争ではなく話し合いで解決するための組織です。
- 提案した人:アメリカのウィルソン大統領(民族自決を唱えたのと同じ人)
- 本部:スイスのジュネーブ
- 常任理事国(中心になる国):イギリス・フランス・イタリア・日本
- 事務次長:新渡戸稲造(日本人)
ここで1つ考えてみましょう。言い出したアメリカは、もちろん国際連盟に入ったでしょうか。
答えは、入りませんでした。アメリカでは、条約を認めるかどうかを議会が決めます。その議会が、加盟に反対したのです。
注意:提案したアメリカは加盟しなかった(アメリカの議会が反対した)。
言い出した国が入らなかったというのは意外ですね。テストでもよく聞かれる所です。
問2:国際連盟について正しいものはどれ?
問2 国際連盟について正しいものを1つ選びましょう。
ア 提案国のアメリカが中心となって加盟した。
イ 本部はスイスのジュネーブに置かれ、日本は常任理事国になった。
ウ 発足のときから、ドイツやソビエト政府のロシアも加盟していた。
エ ルールを破った国に対して軍隊を送ってやめさせる、強い力を持っていた。
選択肢ウに出てくる「ソビエト政府」とは、1917年のロシア革命でできた、社会主義の政府のことです。
答え イ
ア:アメリカは議会の反対で加盟しなかった
ウ:ドイツ・ソビエト政府のロシアは、発足のときは入っていない(のちに加盟)
エ:争いを止める強い手段は持っていなかった
解き方
正しいのはイです。本部はスイスのジュネーブで、日本はイギリス・フランス・イタリアとならぶ常任理事国でした。
ほかの選択肢がまちがっている理由も確かめましょう。
- ア:言い出したアメリカは、議会の反対で加盟しませんでした。
- ウ:負けたドイツと、革命で新しい政府ができたばかりのロシアは、発足のときには入っていませんでした。どちらも、のちに加盟します。
- エ:反対です。国際連盟は、争いを止めるための強い手段を持っていませんでした。アメリカのような力のある国が入っていないこととあわせて、ここが連盟の弱い所でした。
この図の「入った」の枠には4か国しか書かれていませんが、国際連盟に入ったのはこの4か国だけではありません。ほかにも多くの国が加盟していました。図に書かれている4か国は、加盟した国の中で、中心になる常任理事国になった国です。
アとウは、どちらも「入っていない国」についての選択肢でした。国際連盟は、入った国だけでなく、入らなかった国もセットで覚えておくと、こういう問題に強くなります。
| 国 | |
|---|---|
| 入った | 多くの国が加盟。中心になる常任理事国は、イギリス・フランス・イタリア・日本の4か国 |
| 入らなかった | アメリカ(議会が反対した) |
| 発足のときにはいない | ドイツ・ソビエト政府のロシア(のちに加盟) |
問3:アジアの3つの運動を表で整理しよう
問3 表の空らん①〜④に入る言葉を書きましょう。
問3の表は、朝鮮・中国・インドの3つの地域で、どんな運動があったか、それぞれ何を求めたかを整理したものです。
答え
① 三・一独立
② 五・四
③(旧)ドイツ
④ ガンディー
【注意】
朝鮮 → 植民地だったので「独立」を求めた
中国 → 独立国だったので「権益を返すこと」を求めた
解き方
①は三・一独立、②は五・四、③はドイツ、④はガンディーです。
①と②は、どちらも1919年で、名前も日付からついているので、入れかえてしまう人がとても多い所です。覚えるコツは、「何を求めたか」とセットにすることです。
- 朝鮮:3月1日に独立宣言が読み上げられ、「独立万歳」と叫ぶ運動が全土に広がりました。朝鮮総督府は、これを武力で鎮圧しました。
- 中国:パリ講和会議で、ドイツが山東省に持っていた権益を日本が引き継ぐことが認められました。これに反対して、5月4日に北京の学生たちが立ち上がりました。
- インド:戦後に自治を認めるという約束を、イギリスが守りませんでした。ガンディーは、暴力を使わずに、イギリスの支配に従わない抵抗を広げました。
③に「日本」と書いた人もいるかもしれません。中国が「返せ」と言った相手は日本なので、そう考えるのは自然なことです。ただ、ここで聞いているのは、山東省の権益をもとは「どこが持っていたか」です。もとはドイツのものでした。それを日本が引き継ごうとしたので、中国の人々は「中国に返せ」と求めたのです。
もう一度、表の「何を求めたか」を見てください。
注意
朝鮮 → 植民地だったので「独立」を求めた
中国 → 独立国だったので「権益を返すこと」を求めた
朝鮮は日本の植民地だったので、独立を求めました。一方、中国は、すでに独立した国です。だから求めたのは、独立ではなく、山東省の権益を返すことでした。同じ年の運動でも、置かれていた立場が違えば、求めたものも違ってくるのです。
ワシントン会議:パリ講和会議との見分け方
「また会議が出てきた。パリの会議と、どう違うの?」と思った人もいるでしょう。ここがいちばんごちゃごちゃになりやすい所なので、見分け方から先に説明します。
2つの会議は、どちらも平和を目指した会議でした。だから「何のための会議か」で分けようとすると、どちらも「争わないため」になって迷ってしまいます。
決まり:会議は「何について話し合ったか」で分ける。
パリ講和会議(1919年)
話し合ったのは、負けた国の後始末と、世界全体の平和のしくみです。
負けた国の後始末とは、負けた国に課す条件と、負けた国が持っていた領土・植民地・権益をどこへ移すか、ということです。
- ドイツに重い条件を負わせた → 負けた国に課す条件
- 負けたオーストリアなどの領土だった東ヨーロッパに新しい国が独立した → 負けた国の領土をどこへ移すか
- ドイツが山東省に持っていた権益を日本が引き継ぐと認めた → 負けた国の権益をどこへ移すか
- 国際連盟をつくると決めた → 世界全体の平和のしくみ
ワシントン会議(1921〜22年)
それから2年ほどたった1921年、アメリカの呼びかけで、ワシントン会議が開かれました。話し合ったのは、海軍・太平洋・中国の3つです。
1つめは海軍。 国々は大きな軍艦をつくる競争をしていました。そこで、海軍の主力艦(中心になる大型の軍艦)について、国ごとに持ってよい合計のトン数を決めて制限しました。トン数とは、船の大きさを重さで表したものです。
2つめは太平洋。 アメリカ・イギリス・日本・フランスの4か国が、太平洋地域で、おたがいの今の領土や権利を尊重し、今の状態を保つ約束を結びました。日英同盟は、日本とイギリスの2か国の同盟でした。太平洋のことを4か国の約束で決めることになったので、日英同盟は解消されました。だから、日英同盟の解消は「太平洋」の話です。
3つめは中国。 中国の主権と領土を尊重することを確かめました。主権とは、その国のことを、ほかの国に口出しされずに自分たちで決める権利です。この流れの中で、日本は、パリ講和会議で引き継いだ山東省の権益を中国に返しました。
山東省の権益は「向き」で覚えよう
ドイツ → 日本(移す)はパリ講和会議
日本 → 中国(返す)はワシントン会議
問4:ワシントン会議で決まったことはどれ?
問4 ワシントン会議(1921〜22年)で決まったことを、すべて選びましょう。
ア 海軍の主力艦を制限する。
イ 国際連盟をつくる。
ウ 日英同盟を解消する。
エ ドイツに賠償金を負わせる。
オ 日本が山東省の権益を中国に返す。
答えは1つとは限らないので、気をつけましょう。
答え ア・ウ・オ
パリ講和会議(負けた国の後始末・世界の平和のしくみ)
:エ ドイツの賠償金・イ 国際連盟
ワシントン会議(海軍・太平洋・中国)
:ア 主力艦の制限・ウ 日英同盟の解消・オ 山東省の権益を返す
解き方
答えはア・ウ・オです。
「何について話し合ったか」で、選択肢を2つの会議に分けてみましょう。
パリ講和会議(負けた国の後始末・世界の平和のしくみ)に入るもの
- エ ドイツの賠償金:負けた国に課す条件、つまり負けた国の後始末です。
- イ 国際連盟:世界全体の平和のしくみの話です。パリ講和会議でつくることが決まり、1920年にできました。ワシントン会議が始まった1921年には、もう動き始めていました。
イを選んだ人は、「これから争わないための決まりだから」と考えたのかもしれません。その読み方自体はまちがっていません。ただ、目的で分けると、どちらの会議も「争わないため」なので、見分けられなくなってしまうのです。
ワシントン会議(海軍・太平洋・中国)に入るもの
- ア 海軍の話:主力艦の合計のトン数を制限しました。
- ウ 太平洋の話:太平洋の今の状態を保つ4か国の約束を結び、2か国の日英同盟は解消されました。
- オ 中国の話:中国の主権と領土を尊重し、日本は山東省の権益を中国に返しました。
オを見て、「さっきの五・四運動の話とつながる」と気づいた人もいるでしょう。1919年、中国の人々は山東省の権益を返すよう求めました。その権益が、ワシントン会議の流れの中で中国に返されたのです。
もう1つ付け加えておきます。日本は1918年から、ロシア革命に干渉するためにシベリアへ軍を送っていましたが、1922年に引き上げています。大戦中は勢力を広げようとしていた日本が、戦後は国々と協調する流れに入っていったのです。
まとめ
- パリ講和会議(1919年):ベルサイユ条約で、負けたドイツは重い条件を負わされた。
- 民族自決:ウィルソン大統領が唱えた。当てはめられたのは東ヨーロッパで、勝った国の植民地だった朝鮮やインドは独立できなかった。
- 1919年のアジアの民族運動:民族自決の言葉は、アジアの人々に期待をいだかせた。
- 朝鮮:日本からの独立を求める三・一独立運動
- 中国:山東省の権益を返すよう求める五・四運動
- インド:ガンディーの非暴力・不服従の抵抗
- 国際連盟(1920年):日本は常任理事国になったが、言い出したアメリカは加盟しなかった。
- ワシントン会議(1921〜22年):主力艦の制限と日英同盟の解消が決まり、日本は山東省の権益を中国に返した。
最後に、次の文を自分で言えるか試してみてください。
「パリ講和会議で話し合ったのは、負けた国の後始末と世界の平和のしくみ。ワシントン会議で話し合ったのは、海軍・太平洋・中国」
これが言えれば、「国際連盟はパリ」「日英同盟の解消はワシントン」というように、決まったことを自分で分けられます。すぐに言えなくても大丈夫です。あやしい所があったら、その部分に戻って読み直してみてください。
よくある質問
Q. 国際連盟と国際連合は同じものですか?
A. 別のものです。この記事で学んだ国際連盟は、第一次世界大戦のあと、1920年にできた組織です。ウィルソン大統領の提案でつくられ、本部はスイスのジュネーブに置かれました。名前は似ていますが、今の国際連合とは別の組織として覚えておきましょう。
Q. 三・一独立運動と五・四運動が、どっちがどっちか分からなくなります。
A. 「どこで」「何を求めたか」とセットで覚えましょう。朝鮮は日本の植民地だったので「独立」を求めた運動、だから名前に「独立」が入る三・一独立運動です。中国はすでに独立した国だったので、山東省の権益を返すことを求めた五・四運動です。
Q. 山東省の権益は、パリ講和会議とワシントン会議のどちらの話ですか?
A. どちらにも出てきます。向きで分けましょう。ドイツが持っていた権益を日本が引き継ぐと認められたのはパリ講和会議(負けた国の権益をどこへ移すかの話)です。日本がその権益を中国に返したのはワシントン会議の流れの中です(中国の話)。
このシリーズについて
この記事は、シリーズの「基礎」の回です。このシリーズには「基礎」「入試基礎」「入試応用」の 3 段があります。続きの回も、順番に公開していきます。
解答・解説つきの演習プリント(別ページ)
この単元の授業
- STEP 1-1(準備中)
- STEP 1-2(この記事)
- STEP 1-3(準備中)
- STEP 1-4(準備中)
- STEP 2-1(準備中)
- STEP 2-2(準備中)
- STEP 3(準備中)





