第一次世界大戦と日本・ロシア革命をわかりやすく:三国同盟と三国協商、日本の参戦、二十一か条の要求
※ この記事は上の授業動画の内容をテキストで整理したものです。
この記事でわかること
- 三国同盟と三国協商の国の分け方。イタリアの「注意点」と、「ヨーロッパの火薬庫」がどこか
- 日本がなぜヨーロッパの戦争に加わったのか。戦った相手と、占領した場所
- 二十一か条の要求を「出した国」と「受けた国」の見分け方。ロシア革命とシベリア出兵の目的
ヨーロッパの戦争に、日本は関係あるの?
第一次世界大戦という名前は、聞いたことがある人も多いと思います。でも、「ヨーロッパの戦争でしょ? 日本には関係なさそう」と思った人もいるかもしれません。
じつは、日本もこの戦争に加わっていました。この記事を読み終えるころには、次の 2 つを自分の言葉で言えるようになります。
- 日本がなぜヨーロッパの戦争に加わったのか
- そこで何を手に入れようとしたのか
国の名前がいくつか出てきますが、ひとつずつ整理しながら進めるので安心してください。
まず、明治の終わりを思い出そう
始める前に、明治の終わりのことを少しだけ思い出しておきましょう。
- 帝国主義:力の強い国々(列強)が、力で植民地を広げようと競っていました。日本もその中にいました。
- 1902年 日英同盟:日本とイギリスが同盟を結びました。どちらの国も、ロシアが勢力を広げてくるのをおそれていたので、手を組んだのです。
- 日露戦争のあと:日本はロシアと戦い、遼東半島の旅順・大連を借りる権利と、南満州の鉄道の権利を手に入れました。
- 1910年:日本が韓国を併合しました。
- 1912年:となりの中国で辛亥革命が起き、中華民国ができました。
この中の「日英同盟」と「旅順・大連」は、このあともう一度出てきます。頭のすみに置いておいてください。
ヨーロッパの国々は「二つのグループ」に分かれていた
この単元は、国の名前と「どっちの側か」がからみ合っていて、歴史の中でもかなり整理しにくいところです。でも、ヨーロッパの国々を 2 つのグループに分けるだけで、ぐっと見通しがよくなります。
中心になるのはドイツです。ドイツは工業や軍の力をどんどんのばして、植民地を広げようとしました。そうなると、それまでいちばん力の強かったイギリスとぶつかります。
そこで、次の 2 つのグループができました。
- 三国同盟:ドイツ・オーストリア・イタリア
- 三国協商:イギリス・フランス・ロシア
「同盟」はドイツのグループ、「協商」はイギリスのグループ、と覚えましょう。
「ヨーロッパの火薬庫」とサラエボ事件
では、戦争はどこから始まったのでしょうか。
ヨーロッパの南東、オーストリアの南に、バルカン半島という半島があります。ここには多くの民族がくらしていて、独立や統一を求める動きがありました。そこへ、まわりの大国もそれぞれ勢力を広げようとしていました。
いつ戦争が起きてもおかしくない場所だったので、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれました。火花が一つ散れば爆発してしまう、火薬の倉庫のようだ、というたとえです。
1914年、この半島にあるサラエボという町で、オーストリアの皇位継承者の夫妻が、セルビアの青年に暗殺されました。これがサラエボ事件です。ここから 2 つのグループの国々が次々に戦争に加わり、第一次世界大戦が始まりました。
問1 二つのグループと火薬庫を地図で確かめよう
問1
地図の 6 か国を、「三国同盟」と「三国協商」に分けましょう。
また、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた地域を、地図のア〜ウから選びましょう。
答え
三国同盟:ドイツ・オーストリア・イタリア
三国協商:イギリス・フランス・ロシア
火薬庫:ア(バルカン半島)
大戦が始まってからの呼び方
ドイツの側=同盟国 イギリスの側=連合国
【注意】イタリア
・三国同盟に入っていた
・大戦では同盟国側で戦わず、1915年に連合国側で参戦
・「三国同盟の国」→ イタリアを入れる
・「大戦でドイツ側として戦った国」→ イタリアは入らない
地図で色を分けてみると、ドイツとオーストリアがヨーロッパのまん中にあって、その両側を西のフランスと東のロシアにはさまれているのが分かります。イギリスは、海の向こうからドイツと張り合っていました。
大戦が始まってからは、呼び方が変わります。
- ドイツの側=同盟国
- イギリスの側=連合国
気をつけたいのは「イタリア」
イタリアは三国同盟に入っていました。ところが、同じ同盟のオーストリアと、領土をめぐって対立していました。そのため、大戦が始まっても同盟国側では戦わず、1915年に、反対の連合国側で参戦しています。
イタリアを協商の側に入れた人は、大戦でイタリアが連合国側だったことを知っていたのかもしれません。その知識自体は合っています。ただ、テストでは問いの文をよく読んで答えましょう。
- 「三国同盟の国」を聞かれたら → イタリアは入れる
- 「大戦でドイツ側として戦った国」を聞かれたら → イタリアは入らない
火薬庫は「ア」のバルカン半島
ヨーロッパの南東、オーストリアの南にある半島です。イはスペインやポルトガルのあるイベリア半島、ウは北のスカンディナビア半島です。
バルカン半島に、ロシアやオーストリアが勢力を広げようとしていました。その「火薬庫」に火花を散らしたのが、1914年のサラエボ事件でした。
総力戦:それまでとは違う戦争
第一次世界大戦は、それまでの戦争とは違うものになりました。兵士だけでなく、国民・経済・科学技術のすべてをつぎこむ戦争です。これを総力戦といいます。
- 戦車・飛行機・毒ガスなどの新しい兵器が使われました。
- 男性が戦場に行ったあとの工場などでは、女性も働くようになりました。
日本はなぜ参戦したのか
最初の疑問に戻りましょう。ヨーロッパの戦争に、日本は関係あったのでしょうか。
答えは「参戦した」です。1914年、日本は明治に結んだ同盟を理由に、その同盟の相手と同じ側に立って参戦しました。そして、相手の国がアジアや太平洋に持っていた拠点をねらい、中国の山東半島と、太平洋の赤道より北にある南洋諸島を占領しました。
では、日本が理由にした同盟は何で、日本はどの国と戦ったのでしょうか。さっきの二つのグループを思い出しながら、問2 で確かめましょう。
問2
( )に入る言葉を書きましょう。
日本は(A)同盟を理由に第一次世界大戦に参戦し、(B)に宣戦布告した。そして、中国の(C)半島や、太平洋の(D)諸島にあった(B)の拠点を占領した。
答え
A 日英 B ドイツ C 山東 D 南洋
【注意】日本が宣戦布告した相手
・ロシアではない(ロシアは同じ連合国側)
・日本の相手はドイツ
日本にとっての大戦
アジアと太平洋で勢力を広げる機会
A の日英同盟は、明治の 1902年に結んだ同盟です。日本はこの同盟を理由に、イギリスと同じ連合国の側で参戦しました。
「ロシア」と書いてしまいやすい所
B に「ロシア」と書いてしまう人は、ほんとうに多いです。日本は日露戦争でロシアと戦っているので、そう考えるのは自然なことです。
でも、二つのグループをもう一度見てください。ロシアはイギリスと同じ三国協商の側です。日本はイギリスと同盟を結んでいるので、ロシアとも同じ連合国の側になります。日本の相手はドイツです。
「オーストリア」と書いた人は、「グループで考える」という考え方は合っています。そのうえで、日本が宣戦布告して戦ったのは、アジアや太平洋に拠点を持っていたドイツだ、と押さえておきましょう。
山東半島も南洋諸島も、ドイツが持っていた拠点でした。戦争の中心はヨーロッパでしたが、日本はこの戦争を、アジアや太平洋で勢力を広げる機会にしたのです。「日本は関係あるの?」という最初の疑問の答えが、ここにあります。
二十一か条の要求:「出した国」と「受けた国」の見分け方
戦争が続いていた 1915年、アジアでは「二十一か条の要求」が出されました。ヨーロッパの国々が戦争で手いっぱいで、アジアに手を回せなかったころのことです。
この要求は、テストで「どの国が出して、どの国が受けたか」が逆になりやすい所です。でも、見分け方を知っていれば取り違えずにすみます。
【決まり】要求の文の読み方
- その中身で得をする国=要求を出した側
- 「認める」「延ばす」などをするように求められている国=要求を受けた側
たとえば「X国は、Y国が X国の港を使うことを認める」という文があったとします。港を使えて得をするのは Y国です。だから、要求を出したのは Y国です。認めるように求められている X国が、受けた側です。
もう一つ、こういう要求を受けた国の人々がどう感じたかも、想像しながら次の問いを読んでみてください。
問3 資料から、だれがだれに求めたのかを読み取ろう
問3
資料を読んで、答えましょう。
① この要求を出した国はどこですか。
② この要求を受けた国はどこですか。
③ この要求に対して、受けた国の人々はどう受け止めましたか。
答え
① 日本
② 中国(中華民国)
③ 強く反発し、反日運動が起こった
(「怒った」「不満に思った」「いやだと思った」も正解)
【注意】文の最初に出てくる国が、出した国とは限らない
「だれが得をするか」で見分ける
【注意】③ に「受け入れた」「認めた」は×
政府は認めさせられたが、問いは「人々がどう受け止めたか」
二十一か条の要求のねらい
ヨーロッパの国々が戦争で手を回せないうちに、日本が中国での権益を広げる
①② 「だれが得をするか」で見分ける
資料の言葉を、順に見ていきましょう。
1 つめの文は「中国政府は、ドイツが山東省に持っているいっさいの権利を、日本が引きつぐことを認める」です。山東省の権利は、もともとドイツが持っていたものでした。その権利を引きつぐのは日本なので、得をするのは日本です。そして、それを「認める」ように求められているのは中国政府です。
2 つめの文には「日本が持っている旅順・大連」とあります。期限が延びて得をするのも、やはり日本です。
だから、① 出したのは日本、② 受けたのは中国(当時の国の名前でいうと中華民国)です。
逆に書いた人は、文の最初にある「中国政府は」を見て、中国が出したと読んだのかもしれません。最初に出てくる主語に目が行くのは、文を読むうえでは自然なことです。ただ、文の最初に出てくる国が、出した国とは限りません。「だれが得をするか」で見分けましょう。
旅順・大連は、明治の思い出しで出てきた場所です。日露戦争のあとに、日本が借りる権利を得ました。その期限をもっと延ばせ、という中身です。山東省は、日本が大戦でドイツの拠点を占領した、山東半島のある所です。ヨーロッパの国々がアジアに手を回せないこのときに、日本は中国での権益を広げようとしたのです。
③ 人々がどう受け止めたか
中国は、要求の大部分を認めさせられました。自分の国の中で日本の権益がどんどん広げられていくことに、中国の人々は強く反発しました。国内では日本に反対する運動、反日運動が起こりました。
- 「反発した」と書けていれば正解です。
- 「怒った」「不満に思った」「いやだと思った」も、反発の気持ちを表しているので正解です。
- 「反日運動が起こった」まで書けたら、なおよいです。
- 「受け入れた」「認めた」は正解になりません。中国の政府が大部分を認めさせられたのは事実です。でも、問いが聞いているのは「人々がどう受け止めたか」だからです。
この反発は、次の回で学ぶ 1919年の五・四運動につながっていきます。
ロシア革命:戦争の途中でロシアに起きた大きな変化
日露戦争の相手だったロシアは、この大戦では日本と同じ連合国の側でした。そのロシアで、戦争の途中に大きな変化が起きます。
- 戦争が長引いて、ロシアの民衆や兵士の生活はとても苦しくなっていました。
- 1917年、その人々が立ち上がり、皇帝がたおれました。これがロシア革命です。
- その後、レーニンの指導で、世界で初めての社会主義の政府ができました。これをソビエト政府といいます。
- 社会主義とは、土地や工場を個人のものではなく、社会全体のものにしていこう、という考えです。
- ソビエト政府は、ドイツと単独で講和を結び、戦争からぬけました。
では、日本やイギリス、アメリカなど、ほかの国々はこのできごとをどう見たのでしょうか。
問4 シベリア出兵の目的は?
問4
1918年に、日本・アメリカ・イギリスなどがシベリアに軍を送りました(シベリア出兵)。その目的として正しいものを 1 つ選びましょう。
ア ロシアに攻められた領土を守るため。
イ 革命の影響(社会主義の考え)が自分の国に広がるのをおそれ、革命に干渉するため。
ウ 国際連盟がそう決めたから。
エ 国内で足りない米をシベリアから運ぶため。
答え
イ
シベリア出兵の理由
・社会主義の考えが自分の国に広がるのをおそれ、革命に干渉する
・ソビエト政府が戦争からぬけたことに反対する
・日本は領土を得る目的もあって大軍を送り、ほかの国が引き上げたあとも続けた
ほかの選択肢
ア ロシアが日本を攻めてきたわけではない
ウ 国際連盟は大戦が終わってからできる
エ 米は違う。ただし、出兵が国内の米の事件につながる
ロシア革命でできたのは、社会主義の政府でした。ほかの国々にも、労働者や農民はたくさんいます。だから各国は、社会主義の考えが自分の国にも広がって、同じような革命が起きることをおそれました。そこで、軍を送って革命に干渉しようとしたのです。
教科書には、もう一つの理由も書かれています。ソビエト政府が戦争からぬけたことに反対した、ということです。連合国から見れば、いっしょに戦っていた国がぬけてしまったわけです。
この 2 つが出兵の理由です。日本は、領土を得る目的もあって大軍を送りました。ほかの国が兵を引き上げたあとも、出兵を続けています。
ほかの選択肢はなぜ違うのか
- ア:ロシアが日本を攻めてきたわけではありません。日露戦争の印象からアを選んだ人もいるかもしれませんが、この大戦では、ロシアは日本と同じ連合国の側でした。
- ウ:国際連盟は、大戦が終わってからできるしくみです。1918年には、まだありません。
- エ:「米をシベリアから運ぶため」は違います。ただし、このシベリア出兵が、日本の国内で米をめぐる大きな事件を起こすことになります。それはこのシリーズの 1c の回で学びます。
大戦の終わりとまとめ
ロシア革命が起きたのと同じ 1917年、大戦の途中で、アメリカも連合国側で参戦しました。そして 1918年、シベリア出兵の年の秋に、ドイツが降伏して、第一次世界大戦は終わりました。
【まとめ】第一次世界大戦の側分け
- 同盟国側:ドイツ・オーストリア、それに今のトルコのあたりにあったオスマン帝国を中心とする国々
- 連合国側:イギリス・フランス・ロシア・日本・イタリア、1917年からアメリカ
- イタリアは三国同盟に入っていたが、1915年に連合国側で参戦した
- 日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦した。相手はドイツ
- ロシアは、1917年の革命のあと戦争からぬけた
最初の疑問への答え
「ヨーロッパの戦争に、日本は関係あるの?」と最初に聞きました。今なら答えられるはずです。
日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦布告し、中国の山東半島と、太平洋の南洋諸島を占領しました。そして、ヨーロッパの国々が手を回せないうちに、中国に二十一か条の要求を出して、権益を広げようとしました。日本にとってこの戦争は、アジアで勢力を広げる機会だったのです。
【まとめ】今日言えるようになったこと
- 三国同盟と三国協商を分けられる。イタリアは 1915年に連合国側で参戦した
- 火薬庫=バルカン半島。1914年のサラエボ事件から大戦が始まった
- 日本は日英同盟を理由にドイツに宣戦し、山東半島・南洋諸島を占領した
- 二十一か条の要求は日本が中国に出した。中国の人々は強く反発した
- ロシア革命でレーニンの社会主義の政府ができ、各国はシベリア出兵で革命に干渉した
この 5 つを、自分の言葉で言えるか確かめてみてください。言えない所があっても大丈夫です。その見出しに戻って、何度でも読み直してください。問いを自分で解いてみたい人は、ページの下のプリントと練習問題へどうぞ。
よくある質問
Q. 日本は日露戦争でロシアと戦ったのに、なぜ第一次世界大戦ではロシアと戦わなかったのですか?
A. 日本はイギリスと日英同盟を結んでいて、そのイギリスはロシアと同じ三国協商のグループでした。そのため、日本とロシアは同じ連合国の側になりました。日本が宣戦布告した相手は、アジアや太平洋に拠点を持っていたドイツです。
Q. イタリアは、三国同盟と連合国のどちらに入れればいいのですか?
A. 問いが何を聞いているかで変わります。「三国同盟の国」を聞かれたら、イタリアを入れます。「大戦でドイツ側として戦った国」を聞かれたら、イタリアは入りません。イタリアは三国同盟に入っていましたが、オーストリアと領土をめぐって対立していたので、1915年に連合国側で参戦したからです。
Q. 二十一か条の要求で、出した国と受けた国を逆にしてしまいます。どう見分ければいいですか?
A. 「その中身で得をする国」が出した側、「認める」などをするように求められている国が受けた側です。資料では、山東省の権利を引きついだり、旅順・大連の期限が延びたりして得をするのは日本です。だから、出したのは日本、受けたのは中国(中華民国)です。文の最初に出てくる国が、出した国とは限らないので気をつけましょう。
このシリーズについて
この記事は、シリーズの「基礎」の回です。このシリーズには「基礎」「入試基礎」「入試応用」の 3 段があります。続きの回も、順番に公開していきます。
解答・解説つきの演習プリント(別ページ)
この単元の授業
- STEP 1-1(この記事)
- STEP 1-2(準備中)
- STEP 1-3(準備中)
- STEP 1-4(準備中)
- STEP 2-1(準備中)
- STEP 2-2(準備中)
- STEP 3(準備中)



