中2社会|平安時代【Step 1b】
中2 社会|平安時代|Step 1b
この記事でわかること
- 遣唐使は894年に菅原道真の建議で廃止され、唐の衰えが国風文化誕生のきっかけとなった
- かな文字は漢字をもとに日本で生まれ、平仮名は漢字を崩し、片仮名は一部を取り出して作られた
- 源氏物語の作者は紫式部、枕草子の作者は清少納言で、どちらも国風文化を代表する作品である
※ この記事は上の授業動画の内容をテキストで整理したものです。
学習マップ
この単元の位置づけです。
遣唐使、なぜやめた?
→ 894年、菅原道真(すがわらのみちざね)が
「唐(とう)がおとろえてきたから」
と提案し、廃止された
遣唐使廃止の経緯
894年 遣唐使(けんとうし) 廃止
提案した人物: 菅原道真(すがわらのみちざね)
背景: 唐(とう)の勢いがおとろえていた
遣唐使は飛鳥・奈良時代から続く制度で、唐(中国)に使節を送り、進んだ制度や文化を学ぶことが目的でした。この遣唐使が894年に廃止されます。廃止を朝廷に建議したのは菅原道真で、その理由は唐の国力が衰えて学ぶ意義が薄れたためです。「いつ・誰が・なぜ」の三点をセットで押さえておくことが重要です。
確認クイズ①
【問題①】
遣唐使が廃止されたのは何年ですか。
答え①
正解: イ 894年
※ア 794年は平安京 遷都の年
(790年代とまぎらわしいので注意)
確認クイズ②
【問題②】
894年に遣唐使の廃止を朝廷に
提案した人物は誰ですか。
漢字で答えなさい。
答え②
正解: 菅原道真
→ 894年、遣唐使の廃止を朝廷に建議した
国風文化の発展
遣唐使 廃止
→ 中国からの文物が入りにくくなる
→ 日本独自の 国風文化(こくふうぶんか) が発展
※全盛期は 11世紀(藤原道長・頼通のころ)
遣唐使の廃止後、中国からの情報や物資が入りにくくなると、日本は独自の文化である国風文化を育て始めました。国風文化が最も栄えたのは11世紀、藤原道長・頼通の時代です。制度・建築・文字・文学など幅広い分野で変化が生じ、建築では唐風から寝殿造へ、文字では漢字中心からかな文字の使用へ、文学では漢詩から和歌や日本語の物語へと変わりました。
894年の遣唐使廃止がきっかけとはいえ、国風文化が本格的に花開くのはそれから100年以上後のことです。唐から取り入れた制度・文化の素地の上に、日本独自のアレンジが積み重なった結果として、11世紀の貴族文化が生まれました。
確認クイズ③
【問題③】
紫式部が書いた、国風文化を代表する
長編物語の作品名を漢字で答えなさい。
| 作者 | 作品 |
|---|---|
| 紫式部 | ? |
| 清少納言 | 枕草子 |
答え③
正解: 源氏物語
紫式部が書いた、国風文化を代表する長編物語
| 作者 | 作品 |
|---|---|
| 紫式部 | 源氏物語 |
| 清少納言 | 枕草子 |
かな文字の成り立ち
かな文字(平仮名(ひらがな)・片仮名(かたかな))は
漢字をもとに 日本で 生まれた
→ 日本語を そのまま 自由に書けるように
平仮名: 漢字を崩して作る
片仮名: 漢字の一部を取り出して作る
かな文字(平仮名・片仮名)は、漢字をもとに日本で生まれた文字です。出発点は万葉仮名──漢字を日本語の音を表すためだけに使う書き方──で、そこから漢字を崩すと平仮名が、漢字の一部を取り出すと片仮名が生まれました。平仮名は源氏物語・枕草子のような女性の文学で広く使われ、片仮名は漢文の読み下しの補助として用いられました。かな文字の誕生により、日本語の音をそのまま自由に書き表せるようになりました。
確認クイズ④
【問題④】
国風文化の時代に生まれたかな文字の説明として正しいものはどれですか。
ア 漢字をもとに日本で生まれ、日本語を自由に書き表せるようになった
イ 遣唐使が唐から持ち帰り、日本に伝えた文字である
ウ 聖徳太子が遣隋使とともに新たに整えた文字である
エ かな文字が生まれてから、日本では漢字が使われなくなった
答え④
正解: ア
かな文字は 漢字 をもとに 日本で 生まれた
イ:遣唐使が持ち帰った文字ではない
ウ:聖徳太子・遣隋使の時代とは別(平安時代)
エ:誕生後も漢字は使われ続けた
国風文化の代表作
源氏物語 — 紫式部(むらさきしきぶ)
枕草子 — 清少納言(せいしょうなごん)
寝殿造(しんでんづくり) — 貴族の住まいの様式
担い手: 貴族社会、宮廷に仕えた女性が多い
国風文化の代表作を整理します。源氏物語は紫式部が書いた長編物語、枕草子は清少納言が書いた随筆です。また、天皇の命令でまとめられた和歌集である古今和歌集は勅撰和歌集の代表例として覚えておきましょう。建築では寝殿造が貴族の住まいの様式として発展しました。これらの文化の担い手は貴族社会であり、特に宮廷に仕えた女性たちが中心的な役割を果たしました。
確認クイズ⑤
【問題⑤】(○か×か)
遣唐使が廃止されたあとに、日本独自の
特色を持つ文化として国風文化が発展した。
答え⑤
正解: ○
遣唐使 廃止 → 中国文化の模倣が減る
→ 日本独自の 国風文化 が発展、という流れは正しい
よくある勘違い
| × まちがい | ○ 正しい理解 |
|---|---|
| 国風文化は庶民の文化 | 国風文化は貴族(きぞく)社会の文化 |
| かなができて漢字は消えた | 漢字とかな文字は 併用 された |
| 遣唐使廃止=中国との交流ゼロ | 民間の貿易・交流は続いた |
①国風文化は庶民の文化ではなく、宮廷に仕える貴族社会の文化です。宮廷女性が文化の担い手の中心でした。②かな文字が生まれても漢字は消えておらず、その後も漢字とかな文字は併用されました。③遣唐使が廃止されても中国との交流がゼロになったわけではなく、民間の貿易や交流はその後も続きました。国家としての公式使節がなくなっただけです。
この記事のまとめ
ポイント
・894年 遣唐使 廃止(菅原道真の建議)
・唐の衰え → 国風文化(日本独自の文化)へ
・かな文字誕生 → 源氏物語・枕草子など誕生
✓ 冒頭の問い『なぜやめた?』に自分の言葉で
答えられたら今日はOK
この記事のポイントは3点です。①894年に菅原道真の建議で遣唐使が廃止されました。②唐の衰えを背景に、日本独自の国風文化が発展しました。建築では寝殿造、文字ではかな文字、文学では和歌や物語など、あらゆる分野で日本独自の色が生まれました。③かな文字(万葉仮名→平仮名・片仮名)の誕生により、源氏物語(紫式部)や枕草子(清少納言)のような日本語の文学が花開きました。唐の衰え→遣唐使廃止→国風文化発展→かな文字誕生という因果の流れを、ひとつながりの歴史として理解しておきましょう。
よくある質問
遣唐使廃止後も、日本と中国の交流はあったのですか?
はい。国としての公式使節は廃止されましたが、民間の貿易や交流はその後も続きました。「遣唐使廃止=対中国交流ゼロ」という理解は誤りです。
国風文化は遣唐使廃止(894年)と同時に始まったのですか?
きっかけは894年の廃止ですが、国風文化が最も栄えたのは11世紀(藤原道長・頼通の時代)です。廃止から100年以上後に本格的に花開きました。
平仮名と片仮名は何が違うのですか?
平仮名は漢字全体を崩して作られ(例:安→あ)、主に女性の文学で使われました。片仮名は漢字の一部を取り出して作られ(例:阿→ア)、漢文読み下しの補助として用いられました。
この単元の授業
- Step 1a(準備中)
- Step 1b(この記事)
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