時代の流れの並べ替え
次の5つのできごとを、時代の古い順に並べかえなさい
問1。〔並べ替える項目〕 磨製石器が使われ始める / 稲作が九州北部に伝わる / 奴国の王が後漢に使いを送り、金印を授かる / 卑弥呼が魏に使いを送り、「親魏倭王」の称号を授かる / 大仙古墳(仁徳陵古墳)が造られる
→ ________________________________
因果関係の選択
問2弥生時代に稲作が広まったあと、社会はどのように変化していったか。変化の流れとして最も適切なものを、次のア〜エから1つ選びなさい。- ア 土地や水をめぐる争いが起こる→米の蓄えに差が生まれる→貧富の差が生まれる→むらがまとめられ小さな国ができる
- イ 米の蓄えに差が生まれる→貧富の差が生まれる→土地や水をめぐる争いが起こる→むらがまとめられ小さな国ができる
- ウ むらがまとめられ小さな国ができる→貧富の差が生まれる→米の蓄えに差が生まれる→土地や水をめぐる争いが起こる
- エ 貧富の差が生まれる→むらがまとめられ小さな国ができる→米の蓄えに差が生まれる→土地や水をめぐる争いが起こる
金属器の使い分け
問3弥生時代に大陸から伝わった次の金属器【銅鐸・銅剣・銅矛・鉄の鎌や鍬先・鉄の武器や工具】を、日本での主な使われ方【祭りのための宝物として使われた/実際の農作業・工事・戦いに使われた】と正しく組み合わせなさい。〔対応させるもの〕 (1) 銅鐸
(2) 銅剣
(3) 銅矛
(4) 鉄の鎌や鍬先
(5) 鉄の武器や工具
〔選択肢〕 ア 祭りのための宝物として使われた
イ 祭りのための宝物として使われた
ウ 実際の農作業・工事・戦いに使われた
エ 実際の農作業・工事・戦いに使われた
オ 祭りのための宝物として使われた
→ ________________________________
正誤判定
次の文が正しければ○、誤っていれば×を答えなさい
問4『縄文時代には磨製石器だけが使われるようになり、打製石器は完全に使われなくなった。』→ ________________________________
記述練習
問5東京都の大森貝塚のような貝塚を調べると、縄文時代の人々の暮らしについてどのようなことがわかるか。食生活の面と、当時の自然環境の面の両方にふれて、1〜2文で書きなさい。→ ________________________________
問6巨大な前方後円墳は、近畿地方を中心に、九州地方から東北地方南部までの広い範囲で発見されている。この分布から、大和政権の勢力の広がりについてどのようなことがわかるか。前方後円墳の分布を根拠にして、1〜2文で書きなさい。→ ________________________________
対応の整理
問7渡来人が日本列島に伝えた次のもの【須恵器・機織り・漢字・仏教】を、その内容の説明【高温で焼かれた、かたい土器/布を織る技術/中国で作られた文字/インドでおこり、大陸から伝わった宗教】と正しく組み合わせなさい。〔対応させるもの〕 (1) 須恵器
(2) 機織り
(3) 漢字
(4) 仏教
〔選択肢〕 ア インドでおこり、大陸から伝わった宗教
イ 中国で作られた文字
ウ 高温で焼かれた、かたい土器
エ 布を織る技術
→ ________________________________
問8次の①〜⑥の説明【①1世紀半ばに中国へ使いを送った/②3世紀に中国へ使いを送った/③後漢の光武帝から「漢委奴国王」と彫られた金印を授かった/④魏の皇帝から「親魏倭王」の称号と銅鏡を授かった/⑤『後漢書』にそのできごとが記されている/⑥『魏志』倭人伝にその様子が記されている】を、【奴国の王/卑弥呼】のどちらにあてはまるか、それぞれ組み合わせなさい。〔対応させるもの〕 (1) ①1世紀半ばに中国へ使いを送った
(2) ②3世紀に中国へ使いを送った
(3) ③後漢の光武帝から「漢委奴国王」と彫られた金印を授かった
(4) ④魏の皇帝から「親魏倭王」の称号と銅鏡を授かった
(5) ⑤『後漢書』にそのできごとが記されている
(6) ⑥『魏志』倭人伝にその様子が記されている
〔選択肢〕 ア 卑弥呼
イ 卑弥呼
ウ 奴国の王
エ 奴国の王
オ 奴国の王
カ 卑弥呼
→ ________________________________
資料からわかること
問9古墳の表面には、家形・馬形・武人などさまざまな形の埴輪が並べられた。こうした埴輪を調べることでわかることとして最も適切なものを、次のア〜エから1つ選びなさい。- ア 縄文時代の人々が祈りに使った道具の様子
- イ 古墳時代の人々の家や服装、馬具など暮らしの様子
- ウ 当時の海岸線の位置や気候の変化
- エ 渡来人が伝えた文字や宗教の内容
空欄補充
次の文の(①)にあてはまる語を漢字2字で答えなさい
問10『縄文時代に祈りのために作られた土製の人形を(①)という。』→ ________________________________
解答・解説
問1磨製石器が使われ始める→稲作が九州北部に伝わる→奴国の王が後漢に使いを送り、金印を授かる→卑弥呼が魏に使いを送り、「親魏倭王」の称号を授かる→大仙古墳(仁徳陵古墳)が造られる
磨製石器は縄文時代、稲作の伝来は弥生時代の始まり、奴国の朝貢は1世紀半ば、卑弥呼の朝貢は3世紀、大仙古墳の造営は5世紀。時代区分と世紀の両方で順序が一意に決まる。
問2イ
稲作により米を蓄えられるようになると、蓄えの差から貧富の差が生まれ、土地や水をめぐる争いが起こり、争いの中でむらがまとめられて有力者や王が現れ、小さな国々ができていった。
問3銅鐸・銅剣・銅矛=祭りのための宝物、鉄の鎌や鍬先・鉄の武器や工具=実際の農作業・工事・戦い
銅剣や銅矛は本来武器の形だが、日本では主に祭りのための宝物として使われた。鉄器は青銅器よりかたく、農具・工具・武器として実用された。
問4×
『完全に使われなくなった』が誤り。縄文時代に磨製石器が使われるようになった後も、打製石器は引き続き併用された。道具は置き換わるのではなく、重なりながら加わっていく。
問5捨てられた貝がらや魚・けものの骨から、人々が貝や魚をとり、けものを狩って食べていたという食生活がわかり、また貝の種類などから、当時の海岸線の位置や気候といった自然環境を知ることができる。
貝塚はただのごみ捨て場ではなく、食生活(何を食べたか)と自然環境(海岸線・気候)の両方を記録した資料として読み取れる。
問6前方後円墳は大和政権の王や豪族の墓として造られた形なので、それが九州地方から東北地方南部まで分布していることから、大和政権の勢力がこの範囲の各地の豪族にまで及んでいたことがわかる。
近畿地方を中心とする大和政権と同じ形の古墳を各地の豪族が造ったことが、勢力の広がりの証拠になる。北海道や東北北部までは及んでいない点に注意。
問7須恵器=高温で焼かれたかたい土器、機織り=布を織る技術、漢字=中国で作られた文字、仏教=インドでおこり大陸から伝わった宗教
渡来人は須恵器の技術・機織り・漢字・儒学・仏教などを伝え、日本の文化や技術の発展に大きく貢献した。
問8①奴国の王 ②卑弥呼 ③奴国の王 ④卑弥呼 ⑤奴国の王 ⑥卑弥呼
奴国の王は1世紀半ばに後漢へ朝貢して金印を授かり『後漢書』に記され、卑弥呼は3世紀に魏へ朝貢して称号と銅鏡を授かり『魏志』倭人伝に記された。
問9イ
家形・馬形・武人などの埴輪は、当時の住居や服装、馬具などをかたどっているため、古墳時代の人々の暮らしを知る手がかりになる。
問10①=土偶
土偶は縄文時代に祈りのために作られた土製の人形。古墳時代の埴輪と混同しないこと。