用語の確認(人物・幕府)
1338年に北朝から征夷大将軍に任じられ、京都に室町幕府を開いた人物を漢字で答えなさい
問1。→ ________________________________
問2鎌倉幕府の滅亡後、天皇中心の政治を目指したが、公家を重視したため武士の不満を招いて短期間で失敗した政治を何というか。漢字で答えなさい。→ ________________________________
建武の新政を行った天皇の名を漢字で答えなさい
問3。→ ________________________________
南北朝の動乱
南朝が置かれた奈良県の地名を漢字で答えなさい
問4。→ ________________________________
北朝が置かれた都の名を漢字で答えなさい
問5。→ ________________________________
1392年に南北朝の合一を実現した、室町幕府第3代将軍として正しい人物を選びなさい
守護大名と戦国大名
問7室町幕府から任じられた守護のうち、守護の権限を大きく拡大して国全体を支配するようになった大名を何というか。漢字で答えなさい。→ ________________________________
問8応仁の乱後、幕府の権威によらず独自の力で領国を支配した新しい大名を何というか。漢字で答えなさい。→ ________________________________
問9戦国大名が領国を独自に支配するために定めた法律を何というか。漢字で答えなさい。→ ________________________________
惣村と土一揆
問10室町時代の農民が武装して立ち上がり、年貢の軽減や徳政令などを幕府や領主に要求した行動を何というか。漢字で答えなさい。→ ________________________________
問111428年に京都周辺で農民たちが徳政令を求めて立ち上がり、借金の証文を焼き捨てた、日本で最初の大規模な土一揆を何というか。漢字で答えなさい。→ ________________________________
守護大名と戦国大名
問12室町時代後半、身分の低い者が実力で上位の者を倒して権力を握ることを何というか。漢字で答えなさい。→ ________________________________
応仁の乱と下剋上
応仁の乱が始まった年を西暦で答えなさい
問13。→ ________________________________
問14応仁の乱後に広まった、下の身分の者が実力で上の身分の者を倒して取って代わる風潮を何というか。漢字で答えなさい。→ ________________________________
次のできごとを、起こった年代の古い順に並べなさい
問15。〔並べ替える項目〕 建武の新政が始まる / 室町幕府が成立する / 南北朝が合一される / 正長の土一揆が起こる / 応仁の乱が始まる
→ ________________________________
次のア〜エの室町時代の用語と、①〜④の意味を正しく対応させなさい
問16。〔対応させるもの〕 (1) 惣(惣村)
(2) 徳政令
(3) 下剋上
(4) 分国法
〔選択肢〕 ア 借金の帳消しを命じる法令で、土一揆で農民が要求した
イ 戦国大名が自分の領国を治めるために独自に定めた法
ウ 農民が寄合を開いて掟を定め、年貢の交渉や用水の管理などを自分たちで行った自治組織
エ 身分の低い者が実力で身分の高い者を倒し、その地位を奪い取る風潮
→ ________________________________
次のア〜エの人物・できごとと、①〜④の説明を正しく対応させなさい
問17。〔対応させるもの〕 (1) 後醍醐天皇
(2) 足利尊氏
(3) 南北朝の動乱
(4) 応仁の乱
〔選択肢〕 ア 天皇家が吉野の南朝と京都の北朝に分かれ、約60年にわたって並び立った争い
イ 鎌倉幕府滅亡後に天皇中心の政治を目指して建武の新政を始めたが、公家を重視したため武士の不満を招いた
ウ 京都に室町幕府を開き、征夷大将軍となって武家政権を再興した
エ 1467年に将軍の跡継ぎ争いなどから始まり、京都を焼け野原にして11年間続いた大乱
→ ________________________________
解答・解説
問1足利尊氏
足利尊氏は建武の新政に反旗をひるがえし、北朝の光明天皇から征夷大将軍に任じられて京都に室町幕府を開いた初代将軍。
問2建武の新政
建武の新政は後醍醐天皇による天皇中心の政治で、公家中心の政治運営に武士が不満を持ったため失敗し、足利尊氏が武家政権を再興するきっかけとなった。
問3後醍醐天皇
後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒して建武の新政を始めたが、武士の反発で失敗し、京都を離れて吉野に南朝を開いた。
問4吉野
後醍醐天皇は京都を追われて奈良県の吉野に移り、そこで南朝を開いた。
問5京都
北朝は足利尊氏の支持のもと、光明天皇が京都で開いた朝廷。室町幕府も同じ京都に置かれた。
問6イ
足利義満は室町幕府第3代将軍で、約60年続いた南北朝の分裂を1392年に統一した。
問7守護大名
守護大名は幕府から任じられた守護がしだいに税を集める権利や裁判権などを吸収し、国を実質的に支配した大名。幕府を支えたが強すぎて幕府を制約する存在にもなった。
問8戦国大名
戦国大名は自分の実力を根拠に領国を支配した大名で、守護大名から成長した者もいれば、家臣が主君を倒して成り上がった者もいた。
問9分国法
分国法は戦国大名がそれぞれの領国内で家臣や領民に守らせた独自の法律で、幕府の法とは別に領国を統治する根拠となった。
問10土一揆
土一揆は惣村同士が連携して武装蜂起し、徳政令や年貢の軽減を求めた運動で、1428年の正長の土一揆が代表例。
問11正長の土一揆
正長の土一揆は1428年(正長元年)に京都周辺で起きた、日本で最初の大規模な土一揆。惣を結んで団結した農民たちが徳政令(借金の帳消し)を求めて蜂起し、借金の証文を焼き捨てて実力で借金を帳消しにしようとした。応仁の乱よりも前の出来事で、幕府や領主の支配が弱まる中で農民たちが自分たちの力で要求を通そうとした代表例。
問12下剋上
下剋上(げこくじょう)とは、身分の低い者が実力で上の者を倒して権力を握ること。応仁の乱で幕府の権威が失われると、実力さえあれば上の身分を倒せる時代になった。戦国大名の中には守護大名がそのまま成長した者だけでなく、家臣が守護大名を下剋上で倒して取って代わった者も多い。
問131467
応仁の乱は1467年に将軍足利義政の跡継ぎ争いから始まり、1477年まで11年間続いた。
問14下剋上
下剋上は応仁の乱で幕府の権威が失墜したことから広まった風潮で、家臣が主君を、農民が領主を倒して取って代わる動きが全国で起きた。
問15建武の新政が始まる → 室町幕府が成立する → 南北朝が合一される → 正長の土一揆が起こる → 応仁の乱が始まる
建武の新政(1334)→室町幕府成立(1338)→南北朝合一(1392)→正長の土一揆(1428)→応仁の乱(1467)の順。室町時代の政治の流れを年号でおさえる。
問16ア(惣)=①農民の自治組織/イ(徳政令)=②借金の帳消し法令/ウ(下剋上)=③下の者が上の者を倒す風潮/エ(分国法)=④戦国大名の独自の法
室町時代の農民の自治組織『惣(惣村)』、農民が土一揆で求めた『徳政令』、応仁の乱後に広がった『下剋上』、戦国大名が独自に領国支配のために定めた『分国法』は、いずれもこの時代の政治・社会を理解するうえで欠かせない用語である。特に『徳政令=借金帳消し』と『下剋上=下の者が上の者を倒す』はセットで覚え、『下剋上の風潮の中で戦国大名が登場し、彼らが分国法で領国を独自に治めた』という因果の流れで押さえるとよい。
問17ア(後醍醐天皇)=①建武の新政/イ(足利尊氏)=②室町幕府を開く/ウ(南北朝の動乱)=③吉野と京都で約60年並立/エ(応仁の乱)=④1467年から11年続いた大乱
鎌倉幕府滅亡(1333)→後醍醐天皇の建武の新政(公家中心で武士が不満)→足利尊氏が京都に室町幕府を開く(1338)→南北朝の動乱(約60年並立、1392合一)→応仁の乱(1467〜1477)で幕府権威が失墜→下剋上と戦国時代へ、という因果の流れがこの単元の中心線である。人物・できごとを一対一で結びつけて整理し、この一本の線でつなげて理解しよう。