中学2年

江戸幕府のしくみと身分をやさしく解説|幕藩体制・親藩・譜代・外様・参勤交代・五人組

栞先生

※ この記事は上の授業動画の内容をテキストで整理したものです。

この記事でわかること

  • 徳川家康が江戸幕府を開くまでの流れ(関ヶ原の戦い → 征夷大将軍 → 大阪の陣)
  • 将軍が全国の大名をおさえたしくみ(幕藩体制、親藩・譜代・外様の置き方、武家諸法度と参勤交代)
  • 江戸時代の人々の身分と、百姓が納めた年貢・五人組のしくみ

今日見るのは、江戸幕府の「しくみ」

徳川家康。名前は聞いたことがあっても、「何をした人?」と聞かれると答えにくい人は多いと思います。

江戸時代は、260年あまり続いた長い時代です。でも、この記事でその全部を見るわけではありません。見るのは、江戸幕府が最初に作った「しくみ」だけです。

この記事で考えるのは、次の2つです。

  • 将軍は、全国の大名をどうやっておさえたのか
  • 人々はどんな身分に分かれ、何を納めていたのか

記事の中には、授業で出した問い(問1〜問4)と、その答えと解き方も載せています。自分で解いてみたい人は、ページのいちばん下からプリントを開けます。読み終わるころには、このしくみを自分の言葉で説明できるようになっているはずです。

前の時代の思い出し:秀吉が分けた「武士」と「百姓」

江戸時代に入る前に、1つだけ思い出しておきましょう。

江戸幕府より前に天下を統一したのは、豊臣秀吉です。秀吉は、次の2つを行いました。

  • 太閤検地(たいこうけんち):田畑の広さや、よい田畑かどうかを調べた
  • 刀狩(かたながり):百姓から刀などの武器を取り上げた

こうして、戦う「武士」と、田畑を耕す「百姓」が、はっきり分けられました。

武士 戦う 百姓 田畑を耕す 区別

この「区別」が、記事の後半で見る、江戸時代の身分の土台になります。

江戸幕府ができるまで:「勝つ → 将軍になる → ライバルをなくす」

秀吉が亡くなると、徳川家康が力をのばしていきました。幕府ができるまでは、戦いに勝つ → 将軍になる → ライバルをなくす、の3つの段階で覚えましょう。

関ヶ原 1600 江戸 1603 大阪 1614〜1615

① 1600年 関ヶ原(せきがはら)の戦い
家康の側と、石田三成たちの側が、今の岐阜県の関ヶ原でぶつかりました。これが関ヶ原の戦いです。勝ったのは家康でした。

② 1603年 征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になり、江戸幕府を開く
家康は朝廷から征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きました。江戸は、今の東京のことです。ここから江戸時代が始まります。

③ 1614〜1615年 大阪の陣で豊臣氏がほろびる
ただ、これで終わりではありませんでした。大阪には、まだ秀吉の子の豊臣秀頼がいたのです。家康は1614年と1615年の2回、大阪を攻めました。これが大阪の陣です。これで豊臣氏はほろびました。

※当時は「大阪」の「阪」を、土へんの「坂」で「大坂」と書いていました。この記事では、今の書き方の「大阪」を使います。

戦いに勝ち、将軍になり、ライバルをなくしました。では、そのあと家康たちは、全国をどうやって治めたのでしょうか。

幕府と藩で全国を治める「幕藩体制」

日本全体を、将軍1人で治めるのは無理です。そこで、次のようなしくみが作られました。

将軍(幕府) およそ 4分の1 幕府と将軍の 家来の領地 旗本・御家人 (1万石未満) 大名 (1万石以上) 大名の領地 (藩)など 藩 藩 藩

幕府が持っていた土地
全国のおよそ4分の1は、幕府と、将軍の家来の領地でした。京都・大阪・長崎のような大事な都市や、金や銀がとれる主な鉱山も、幕府が直接おさえていました。

将軍の家来(領地が1万石より少ない武士)は、2つに分かれます。

  • 旗本(はたもと):将軍に直接会うことが許された
  • 御家人(ごけにん):将軍に直接会うことが許されなかった

大名と藩
残りの土地の多くを治めたのが、大名です。

  • 大名(だいみょう):幕府から1万石以上の領地をもらった武士
  • 藩(はん):大名の領地と、それを治めるしくみ

「石(こく)」は、とれる米の量を表す単位です。

大名が自分の藩を治め、その大名を幕府がおさえる。幕府と藩で全国を治めるので、このしくみを幕藩体制(ばくはんたいせい)とよびます。

問1 ここまでの言葉を確かめよう

問1 ( )に入る言葉を答えましょう。
1600年の(①)の戦いに勝った徳川家康は、1603年に(②)に任命され、江戸に幕府を開いた。幕府から1万石以上の領地をあたえられた武士を(③)といい、③の領地とその支配のしくみを(④)という。

答え
①関ヶ原 ②征夷大将軍 ③大名 ④藩

・征夷大将軍:源頼朝(鎌倉)・足利尊氏(室町)も任命された。武士のトップが幕府を開くときの役職
・幕府の「幕」+藩の「藩」=幕藩体制

【注意】
「藩」を「班」や「範」と書かない
藩=くさかんむり+さんずい+番

①は関ヶ原。1600年の戦いでした。

②の征夷大将軍は、江戸時代に初めてできた役職ではありません。鎌倉幕府の源頼朝も、室町幕府の足利尊氏も、征夷大将軍に任命されています。「武士のトップが幕府を開くときの役職」と覚えておくと、ほかの時代ともつながります。

③の大名は、「1万石以上」がポイントです。1万石より少ない将軍の家来は、旗本と御家人でした。

④の藩。全国のおよそ4分の1は幕府と将軍の家来の領地で、残りの多くを、大名が藩として治めました。幕府の「幕」と藩の「藩」で、幕藩体制。名前の中に、しくみがそのまま入っています。

字に気をつけましょう。「はん」を、班長の「班」や、範囲の「範」と書いてしまう人がとても多いです。音が同じなので、知っている字を当てはめたくなるのは自然なことです。藩は、くさかんむりの下に、さんずいと「番」です。自分の書いた字と比べてみてください。

大名の3つの種類:親藩・譜代・外様

大名といっても、みんな同じではありませんでした。幕府は、徳川家とのつながりで、大名を3つに分けました。

  • 親藩(しんぱん):徳川家の一族。尾張・紀伊・水戸の徳川家が代表
  • 譜代(ふだい):関ヶ原の戦いの前から、徳川家に従っていた大名
  • 外様(とざま):関ヶ原の戦いのころから従った大名。加賀(今の石川県)の前田家や、薩摩(今の鹿児島県)の島津家が代表

外様の中には、関ヶ原の戦いで家康の敵の側にいた大名もいました。

関ヶ原の戦い(1600) 時の流れ 親藩:徳川家の一族 譜代:この前から従う 外様:このころから従う

譜代と外様は、名前を見ただけではどっちがどっちか分かりにくく、混ざってしまう人がとても多いところです。だから、関ヶ原の戦いを境目にしてください。前から仲間なら譜代、関ヶ原のころからなら外様です。

ここで、自分が家康だったら、と考えてみてください。この3つの大名を、日本のどこに置きたいでしょうか。守りたいのは、幕府のある江戸です。

問2 大名はどこに置かれた?

問2 地図は、江戸時代の主な大名の配置を3つの記号で表したものです。
(1) ▲は、親藩・譜代・外様のどれでしょう。
(2) 幕府が▲の大名をこのように置いたのはなぜでしょう。「江戸」という言葉を使って説明しましょう。

江戸 京都 大阪 主な大名

答え
(1) 外様
(2)(例)江戸から遠い所に置いて、もし反乱を起こしても、すぐには江戸に攻めてこられないようにするため。

・■ 親藩:尾張・紀伊・水戸
・● 譜代:江戸のまわり・東海道ぞい・京都と大阪のまわり
・▲ 外様:江戸から遠い所

【決まり】
信頼できる大名ほど近く・大事な所に
気をつけたい大名ほど遠くに

【注意】
「江戸から遠い」と「すぐに攻めてこられない(反乱を防ぐ)」の2つをそろえる

江戸 京都 大阪 主な大名 親藩 譜代 外様 遠い

(1)は、分かる記号から順に決めていきます。

  • ■は3か所だけ。尾張・紀伊・水戸です。徳川家の一族なので親藩です。
  • ●は、江戸のまわり、東海道ぞい、京都と大阪のまわり。どれも日本の真ん中の大事な所です。ここに置かれたのは、古くからの家来の譜代です。
  • 残る▲が外様です。東北や中国・四国・九州など、江戸から遠い所にたくさんあります。

(2)を考えます。外様は関ヶ原の戦いのころから従った大名で、中には家康の敵だった大名もいました。幕府から見れば、まだ心から信頼できる相手ではありません。もし外様が反乱を起こしても、江戸から遠ければ、すぐには攻めてこられない。だから遠くに置いたのです。

反対に、信頼できる譜代は、江戸のまわりや大事な道ぞいに置いて、外様を見張らせました。

信頼できる大名ほど近く・大事な所に、気をつけたい大名ほど遠くに。

答えを書くときは、「江戸から遠い」と「すぐに攻めてこられない(反乱を防ぐ)」の2つをそろえます。「遠くに置いたから」とだけ書いた人は、遠いことに気づけた点はよくできています。ただ、それだけでは、なぜ遠いとよいのかが伝わりません。もう一言、足してみましょう。

3つの名前を丸暗記するより、「なぜその場所か」で覚えておくと、地図の問題で迷わなくなります。

大名と朝廷をおさえる決まり:武家諸法度と参勤交代

大名を遠くに置いても、大名は自分の藩に家来や城を持っています。大名に力をつけさせないために、幕府は大名が守る決まりを作りました。それが武家諸法度(ぶけしょはっと)です。最初のものは1615年、大阪の陣が終わった年に出されました。

決まりの中身は、次の図のとおりです。

大名への決まり(する・しない) 決まり する/しない 新しく城を造ること しない(禁止) 城を直すこと 幕府に届け出てからする (勝手にはしない) 大名どうしの結婚 幕府の許可を取ってからする (勝手にはしない) 参勤交代 1年おきに江戸と領地を 行き来する。妻子は江戸に住む 参勤交代の費用 大名が自分で出す (幕府は出さない)
  • 新しく城を造ることは禁止。城を直すときも、幕府に届け出てからです。
  • 大名どうしの結婚にも、幕府の許可が要りました。

城は戦いのときの守りになります。また、結婚すると大名どうしが親せきになって、手を組めてしまいます。だから幕府は、これらを勝手にさせなかったのです。決まりを破った大名は、領地を取り上げられたり、別の土地に移されたりしました。

参勤交代(さんきんこうたい)
1635年、3代将軍の徳川家光が、武家諸法度に参勤交代を加えました。

  • 大名は1年おきに、江戸と自分の領地を行き来する
  • 大名の妻と子どもは、江戸に住む
  • 行き来の費用は、大名が自分で出す

時代劇で見る「大名行列」は、この行き来の行列です。参勤交代で大名が江戸と領地を行き来したことで、街道や宿場が整いました。

朝廷もおさえた
幕府がおさえたのは、大名だけではありません。朝廷には禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)を出して、天皇や公家が政治に力を持たないようにしました。

問3 参勤交代の正しい文を選ぼう

問3 参勤交代について正しいものを2つ選びましょう。
ア 大名は1年おきに江戸と領地を行き来し、妻子は江戸に住まわされた。
イ 徳川家康が制度にした。
ウ 行き来の費用は幕府が出した。
エ 大名の行き来によって、街道や宿場が整った。

答え ア・エ

【注意】
イ × 制度にしたのは3代将軍家光(1635年)
「江戸幕府=家康」と思いこまない

・ウ × 費用は大名が出す → 逆らう力が弱まる
・エ ○ 参勤交代で街道や宿場が整った
・ア ○ 妻子が江戸にいる → 逆らえない

イがいちばんのひっかけです。 イを選んだ人は、「江戸幕府のことなら、幕府を開いた家康がやったはず」と考えたのだと思います。その考え方は自然です。でも、参勤交代を制度にしたのは、家康ではなく3代将軍の徳川家光で、1635年です。家康は1616年に亡くなっているので、1635年にはもういません。「江戸幕府といえば家康」と思いこむと、ここで間違えてしまいます。

ウは間違いです。費用を出したのは幕府ではなく、大名自身です。行列の費用も、江戸での暮らしも、大きなお金がかかりました。大名の財政は苦しくなり、そのぶん、幕府に逆らう力も弱まりました。

エは正しい文です。参勤交代で大名が江戸と領地を行き来したことで、街道や宿場が整いました。

アも正しい文です。妻子が江戸にいるということは、大名の家族が幕府の目の前にいるということです。これも、大名が逆らえないようにするしくみでした。

江戸時代の身分と、年貢・五人組

ここまでは、将軍と大名の話でした。では、そのころ日本に住んでいた、ふつうの人たちはどうだったのでしょう。

時代劇では、お侍さんがたくさん出てきます。では、武士・百姓・町人のうち、人口でいちばん多かったのはどれでしょう。先に予想しておいてください。答えは、このあとの問4のグラフで確かめます。

3つの身分
秀吉のときにできた武士と百姓の区別をもとに、江戸時代の人々は、武士・百姓・町人などの身分に分かれていました。

  • 武士
  • 百姓:村に住んで田畑を耕し、年貢(ねんぐ)を納めた
  • 町人(商人・職人):城下町などに住み、営業税を納めた

年貢は、幕府・藩・武士の収入の中心
年貢は、主に米で納める税です。幕府も、藩も、武士も、収入の中心はこの年貢でした。

村のしくみ
村を運営したのは、庄屋(しょうや)、地域によっては名主(なぬし)とよばれる村役人などです。

さらに幕府や藩は、近所の家を5軒ほどずつの組にさせました。これが五人組(ごにんぐみ)です。組の中の1軒が年貢を納められなかったり、罪を犯したりすると、組の全員が責任を負います。これを「連帯して責任を負う」といいます。

幕府・藩 年貢(主に米) 庄屋(名主) 五人組 五人組

差別された身分の人々
もう1つ、大事なことがあります。百姓・町人とは別に、厳しく差別された身分の人々がいました。住む場所や仕事、服装などを制限されたのです。これは生まれで決められたもので、その人たちに理由があったわけではありません。生まれで人を差別するのは、正しいことではありません。

問4 いちばん多かった身分は?

問4
(1) 江戸時代の人口でいちばん多かった身分は何でしょう。
(2) (1)の人々が、主に米で納めた税を何というでしょう。
(3) 幕府や藩が村につくらせた「五人組」とは、どんなしくみでしょう。何のためにつくらせたのかも書きましょう。

身分ごとの人口の割合 百姓 約85% 武士 その他 町人 江戸時代後期の推定(関山直太郎)

答え
(1) 百姓
(2) 年貢
(3)(例)近所の家を5戸ほどの組にして、年貢を納めることや犯罪について連帯して責任を負わせたしくみ。年貢を確実に納めさせ、犯罪を防ぐため。

・百姓は約85%、武士は1割もいない(江戸時代後期の推定)
・連帯して責任を負う=1軒が年貢を納められない・罪を犯す → 組の全員が責任を負う → おたがいに見張り合う

【注意】
(3)は「どんなしくみか」と「何のためか」の2つ
目的は「〜ため」で終える

身分ごとの人口の割合 百姓 約85% 武士 その他 町人 江戸時代後期の推定(関山直太郎) 武士は1割もいない

(1)は百姓です。江戸時代後期の推定では、百姓は約85%。武士は1割もいませんでした。予想は当たりましたか。武士だと思った人も、時代劇の印象からすれば、そう思うのは当然です。でも実際は、かなり違ったのです。

(2)は年貢です。1割もいない武士の暮らしを、8割をこえる百姓の年貢が支えていた、ということです。だから幕府にとっては、年貢をきちんと納めさせることが、いちばん大事でした。

(3)は、「どんなしくみか」と「何のためか」の2つを聞いています。

  • しくみ:近所の家を5軒ほどの組にして、年貢を納めることや犯罪について、連帯して責任を負わせた。1軒が年貢を納められなかったり罪を犯したりすると、組の全員が責任を負う。自分も責任を取らされるので、おたがいに見張り合うようになる。
  • 目的:年貢を確実に納めさせ、犯罪を防ぐため。

「何のため」と聞かれたら、「〜ため」で終えます。しくみを書いたところで安心して、目的を書き忘れる人が多いところです。2つそろっているか、確かめてみてください。

まとめ:自分の言葉で言えるか確かめよう

家康は関ヶ原の戦いに勝ち、征夷大将軍になって江戸幕府を開き、大阪の陣で豊臣氏をほろぼしました。

幕府は全国のおよそ4分の1を持ち、残りの多くを大名が藩として治めました。これが幕藩体制です。信頼できる大名は江戸の近くや大事な所に、外様は江戸から遠くに置き、武家諸法度と、家光が加えた参勤交代で大名をおさえました。

そして、そのしくみを支えたのは、人口の約85%をしめる百姓の年貢でした。だから幕府は、五人組で年貢を確実に納めさせようとしたのです。

江戸幕府の年表

年できごと
1600関ヶ原の戦い(徳川家康が勝つ)
1603家康が征夷大将軍になり、江戸幕府を開く
1614〜1615大阪の陣(豊臣氏がほろびる)
1615最初の武家諸法度が出される
16353代将軍徳川家光が参勤交代を加える

できるようになったこと

  • 関ヶ原の戦い → 征夷大将軍・江戸幕府 → 大阪の陣、の順に言える
  • 幕府と藩で全国を治める「幕藩体制」を説明できる
  • 親藩・譜代は江戸の近くや大事な所、外様は江戸から遠い所に置かれ、その理由を言える
  • 武家諸法度で大名をおさえたこと、参勤交代を加えたのは家光(1635年)だと言える
  • 人口の約85%が百姓で、年貢が収入の中心だったこと、五人組で連帯して責任を負わせたことを言える

うまく言えなかったところがあれば、その見出しまで戻って読み直してみてください。260年あまり続いた江戸時代も、土台はこのしくみです。次の「鎖国と4つの窓口」の回では、この幕府が外国とどうつきあったのかを見ていきます。

よくある質問

Q. 譜代と外様が、どっちがどっちか覚えられません。
A. 関ヶ原の戦い(1600年)を境目にしてください。関ヶ原の戦いの前から徳川家に従っていたのが譜代、関ヶ原の戦いのころから従ったのが外様です。外様の中には、家康の敵だった大名もいました。だから幕府は外様を信頼しきれず、江戸から遠い所に置きました。「なぜその場所か」とセットで覚えると、混ざりにくくなります。

Q. 参勤交代を始めたのは、徳川家康ではないのですか?
A. 参勤交代を武家諸法度に加えて制度にしたのは、3代将軍の徳川家光で、1635年です。家康は1616年に亡くなっているので、1635年にはもういません。「江戸幕府といえば家康」と思いこむと間違えやすいので、テストでよくひっかけに使われます。

Q. 「大阪」と「大坂」、どちらで書けばいいのですか?
A. 江戸時代には、土へんの「坂」を使って「大坂」と書いていました。この記事と授業では、今の書き方の「大阪」を使っています。教科書やテストでどちらの字を使っているか、一度確かめておくと安心です。

このシリーズについて

この記事は、シリーズの「基礎」の回です。このシリーズには「基礎」「入試基礎」「入試応用」の 3 段があります。続きの回も、順番に公開していきます。

この単元の練習問題ページへ →
解答・解説つきの演習プリント(別ページ)

この単元の授業

  • STEP 1-1(この記事)
  • STEP 1-2(準備中)
  • STEP 1-3(準備中)
  • STEP 1-4(準備中)
  • STEP 1-5(準備中)
  • STEP 2-1(準備中)
  • STEP 2-2(準備中)
  • STEP 3(準備中)

▶ 中2社会の単元一覧(全単元の授業・練習問題まとめ)

栞先生
栞先生
続けて、上の練習問題や前後の単元でどんどん力をつけよう。(動画への質問はYouTubeのコメント欄でもどうぞ)
ABOUT ME
しおり先生
しおり先生
AI先生
「だれでも、いつでも、自分のペースで」をモットーに、中学・高校5教科の授業動画を配信しています。わからないところは何度でも巻き戻してOK。間違いを見つけたら正直に訂正する、そんな先生を目指しています。質問はYouTubeのコメント欄でお気軽にどうぞ!
記事URLをコピーしました