江戸時代の産業・交通・都市の発達と元禄文化 「天下の台所」大阪までを 1 本の流れで理解する
※ この記事は上の授業動画の内容をテキストで整理したものです。
この記事でわかること
- 備中ぐわ・千歯こきを、形と働きで見分ける方法
- 大阪が「天下の台所」とよばれた理由を、「蔵屋敷」という言葉を使って説明する書き方
- 元禄文化の 4 人と作品を、「何の作品か」で結ぶコツ(あわせて、綱吉と新井白石の貨幣の政治のちがい)
覚えることは多くても、流れは 1 本
この記事では、江戸時代の産業・交通・都市の発達と、元禄文化を学びます。
農具の名前、街道の名前、作品の名前……と、覚えることがバラバラで多く見えるかもしれません。でも、これらは全部 1 本の流れでつながっています。
- 作物が増える(新しい農具・肥料・新田開発)
- お金が広まる(鉱山・貨幣・両替商)
- ものが運ばれる(五街道・海の航路)
- 大阪に集まって売られる(蔵屋敷・株仲間)
- 町人の文化が生まれる(元禄文化)
覚える言葉が出てきたら、「この流れの何番めに入るのか」を考えながら読んでみてください。読み終わるころには、大阪がなぜ「天下の台所」とよばれたのかを、自分の言葉で説明できるようになります。
流れ 1:作物が増える
江戸時代になって大きな戦いがなくなると、人々は、田畑を広げてたくさん作ることに力を注げるようになりました。
新しい農具(覚える)
農具は、名前だけではどんな道具か分かりにくいので、形と働きをセットで覚えます。
- 備中ぐわ(びっちゅうぐわ):先が 3 本か 4 本に分かれたくわ。分かれているので、かたい土にもささり、田畑を深く耕せます。
- 千歯こき(せんばこき):くしのように鉄の歯がたくさん並んだ道具。歯の間に稲の穂をはさんで引くと、もみが落ちます。稲の穂からもみを落とすことを脱穀(だっこく)といいます。
- 唐箕(とうみ):風を起こして、もみと、もみがらなどを分ける道具です。
お金で買う肥料(覚える)
肥料も変わりました。下の表は、江戸時代になる前と、江戸時代の肥料をくらべたものです。
それまでは、草や灰など、自分たちで集めた物が肥料でした。江戸時代には、いわしを干した干鰯(ほしか)や、油かすが使われるようになります。ここが大事なところで、これらはお金で買う肥料です。
新田開発と商品作物
新田開発は、新しく田を開くことです。耕地は、18 世紀の初めには、豊臣秀吉のころの約 2 倍になりました。
幕府や藩が田を広げたのは、年貢を増やしたかったからです。年貢は、百姓が主に米で納めた税で、幕府や藩の収入の中心でした。
さらに、綿や菜種など、売ってお金にするための作物(商品作物)も作られるようになりました。
問1 農具を見分けよう
ここまでに出てきた 2 つの農具を、絵で見分けてみましょう。名前と働き、両方を答える問題です。答えはすぐ下にあるので、先に考えたい人は、ここで少し考えてから読み進めてください。
問1
図の A・B の農具の名前と、何をするための道具かを答えましょう。
答え
A 備中ぐわ … 田畑を深く耕す
B 千歯こき … 稲の穂からもみを落とす(脱穀)
形と名前をセットで
分かれた刃 → 深くささる → 備中ぐわ
千歯=たくさんの歯 こき=しごいて落とす → 千歯こき
農業が発達した流れ
- 新しい農具・お金で買う肥料
- 新田開発 → 耕地は約 2 倍
- ねらいは年貢を増やすこと
- 商品作物を売る → 農村にもお金が入る
見分けるための手がかり
A(備中ぐわ) の手がかりは、刃が何本かに分かれていることです。分かれた刃は、かたい土にも深くささります。深く耕すと、作物がよく育ちます。
B(千歯こき) は、名前の中に働きが入っています。
- 「千歯」=たくさんの歯
- 「こき」=しごいて落とすこと
たくさんの歯で稲の穂をしごいて、もみを落とす道具です。名前を読めば働きが分かります。
よくあるまちがい:唐箕と混ぜてしまう
B の働きを「もみと、もみがらを分ける」と書いた人もいるかもしれません。その働きを覚えていたこと自体は、いいことです。ただ、それは唐箕の働きです。
どれも米作りの道具なので、混ざりやすいのです。「どの作業をする道具か」で分けると区別できます。
- 土を深く耕す → 備中ぐわ
- 稲の穂からもみを落とす → 千歯こき
- もみと、もみがらなどを分ける → 唐箕
農業が発達した流れをまとめると
- 新しい農具や、干鰯のようなお金で買う肥料が使われるようになった
- 新田開発で、耕地は約 2 倍になった
- 田を広げたねらいは、収入の中心だった年貢を増やすこと
- 綿や菜種などの商品作物を売るようになり、農村にもお金が入る
肥料をお金で買い、作物を売ってお金にする。こうして、農村にもお金が入りこんでいきました。この変化がのちにどんなことを起こすかは、「享保の改革・社会の変化・田沼の政治・寛政の改革」の回で学びます。
では、増えた作物や品物は、どうやって運ばれたのでしょうか。その前に、売り買いに欠かせない「お金」の話をします。
流れ 2:お金が広まる
売り買いがさかんになると、お金がたくさん必要になります。
- 幕府は、佐渡金山(さどきんざん)や石見銀山(いわみぎんざん)など、主な鉱山を直接おさえて、貨幣を造りました。
- 銅の銭では、寛永通宝(かんえいつうほう)が全国に広まりました。
- 金・銀・銭を交換したり、お金を貸したりする両替商(りょうがえしょう)も栄えました。
流れ 3:ものが運ばれる
陸の道:五街道(覚える)
「東海道」という名前は、聞いたことがある人も多いと思います。東海道は、江戸を出発点にした 5 つの主な街道、五街道の 1 つです。
五街道:東海道・中山道(なかせんどう)・甲州道中・日光道中・奥州道中
街道には、旅人が泊まる宿場(しゅくば)が置かれました。大名が 1 年おきに江戸と領地を行き来する参勤交代で、大名行列が通るようになったことも、街道が整った理由の 1 つです。
海の道:3 つの航路(覚える)
米のように重くてかさばる物を、陸の道でたくさん運ぶのは大変です。そこで、船で運ぶ海の道が開かれました。
- 西廻り航路:東北地方の日本海側 → 関門海峡 → 瀬戸内海 → 大阪
- 東廻り航路:東北地方の日本海側 → 津軽海峡 → 太平洋側を回って → 江戸
- 南海路:大阪と江戸の間。菱垣廻船(ひがきかいせん)や樽廻船(たるかいせん)という船が品物を運びました
下の地図には、佐渡金山・石見銀山、五街道、3 つの航路、関門海峡・津軽海峡の位置がかいてあります。西廻り航路は大阪で、東廻り航路は江戸で終わっていることを、地図で確かめてください。
では、運ばれた品物は、どこに集まったのでしょうか。
三都と蔵屋敷・株仲間
三都(覚える)
大阪といえば「食い倒れ」「商人の町」というイメージを、今でも持っている人がいると思います。
江戸時代に特に栄えた 3 つの都市を、三都といいます。
- 江戸:将軍がいる町なので「将軍のおひざもと」。18 世紀の初めに人口約 100 万人の大都市
- 大阪:「天下の台所」。商業の中心
- 京都:朝廷がある。西陣織(にしじんおり)などの工芸がさかん
蔵屋敷と株仲間
大阪には、多くの藩が蔵屋敷(くらやしき)を置きました。蔵屋敷は、年貢米や特産物をしまっておき、売るための倉庫と屋敷です。大名の収入は、百姓が納める年貢の米だったことを思い出してください。
下の絵は、蔵屋敷のようすです。川ぞいに白い蔵と屋敷が並び、米俵を積んだ小舟が岸に着いています。
また商人は、株仲間(かぶなかま)という同業者の組合をつくりました。幕府や藩の許可を得て、その商売を仲間だけで行ったのです。つまり、営業の独占です。
では、大阪はなぜ「天下の台所」とよばれたのでしょうか。じつは、ここまでの話を組み合わせると説明できます。
問2 大阪はなぜ「天下の台所」とよばれた?
この回でいちばん書きにくい問題です。答えはすぐ下にあるので、先に考えたい人は、蔵屋敷が何のための場所だったかを思い出しながら、少し考えてみてください。
問2
地図は、江戸時代の主な街道と航路です。
大阪が「天下の台所」とよばれたのはなぜでしょう。
「蔵屋敷」という言葉を使って説明しましょう。
答え(例)
多くの藩が大阪に蔵屋敷を置き、年貢米や特産物を運びこんで売ったので、全国から物資が集まる商業の中心になったから。
なぜ大阪に米を運んだ?
- 参勤交代や江戸の暮らしに、大名はたくさんのお金が要る
- 大名の収入は年貢米 → 売ってお金にかえる
- 大阪に蔵屋敷を置く
- 全国の物資が大阪に集まる
【注意】書くときに入れる筋
蔵屋敷で年貢米などを売った → 全国から物資が集まった
「なぜ」の答えなので、終わりは「〜から」
台所は、食べ物が集まる所です。全国の米や品物が集まるから「天下の台所」なのです。
そもそも、なぜ大名は大阪まで米を運んだの?
「なぜ大名は、わざわざ大阪まで米を運んで売ったの?」と思った人もいるでしょう。いい疑問です。ここで、参勤交代とつながります(参勤交代は「江戸幕府のしくみと身分」の回で学びます)。
- 参勤交代の費用は、大名が自分で出した。大名行列にも、江戸での暮らしにも、たくさんのお金が要る
- ところが、大名の収入は年貢米。米のままでは、宿代も買い物も払えない → 売ってお金にかえる必要がある
- そのために、大阪に蔵屋敷を置いた
- その結果、全国の物資が大阪に集まった
参勤交代と大阪のにぎわいは、1 本の線でつながっていたのです。
地図で、ものの流れの向きを確かめる
下の地図は、問2 の地図に、ものの流れの向きを書き足したものです。
- 大阪に入ってくる流れは、西廻り航路です。東北や北陸の年貢米などは、日本海から関門海峡、瀬戸内海を通るこの航路で、大阪の蔵屋敷へ運ばれました。
- 南海路は、向きが反対です。大阪に集まった木綿・油・酒・しょうゆなどを、菱垣廻船や樽廻船で、大阪から江戸へ運ぶ道でした。「天下の台所」の大阪から、人口の多い江戸へ品物を送ったのです。
集まった品物を扱った大阪などの大商人は、株仲間をつくって営業を独占し、大きな利益を上げました。これが流れの 4 つめ、「大阪に集まって売られる」です。
答えを書くときのポイント
答えには、次の筋を入れます。
蔵屋敷で年貢米などを売った → 全国から物資が集まった
- 「大阪には蔵屋敷が多く、全国から物資が集まったから」と書いた人は、蔵屋敷という言葉を使えていて、ほぼ近いところまで来ています。ただ、蔵屋敷で何をしたのか(年貢米などを売った)が抜けているので、なぜ物が集まるのかが伝わりません。
- 地図から読みとって「西廻り航路などで、各地の年貢米が大阪に運びこまれた」と書き足すのは正しいので、かまいません。
- ただし、「南海路で江戸から大阪へ物が運ばれた」は向きが逆なので注意しましょう。
- 「なぜ」と聞かれているので、文の終わりは「〜から」にします。
こうして商人が豊かになっていきました。一方、そのころの幕府はどうだったのでしょうか。
綱吉と新井白石:貨幣の質を「落とした」人と「戻した」人
5 代将軍 徳川綱吉
17 世紀の終わりごろの将軍は、5 代将軍の徳川綱吉(つなよし)です。
- 儒学の中でも、上下の関係や礼儀を大切にする朱子学(しゅしがく)を重んじました。
- 生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)を出して、犬をはじめ、生き物を極端に大切にするよう命じました。
- このころ、幕府の財政は苦しくなっていました。そこで綱吉は、貨幣にふくまれる金や銀の割合を減らしました。つまり、貨幣の質を落として、数を増やしたのです。お金がたくさん出回った結果、物の値段(物価)が上がりました。
学者 新井白石
そのあと、学者の新井白石(あらいはくせき)が政治を行いました。
- 貨幣の質を元に戻しました。
- 長崎での貿易を制限して、金や銀が海外に流れ出るのをおさえました。
下の図は、小判の中身の割合を、形だけで表した模式図です。上から「綱吉より前」「綱吉」「白石」の順に並んでいます。綱吉のときは、同じ 1 枚でも中身の金の部分が短くなり、白石のときに、もとの長さくらいに戻っています。
注意:向きが逆です。 綱吉は質を落とした、白石は元に戻した。セットで覚えておきましょう。
流れ 5:町人の文化が生まれる(元禄文化)
「古池や 蛙飛びこむ 水の音」。この句を聞いたことがある人もいると思います。作ったのは松尾芭蕉です。芭蕉が活やくしたのが、元禄文化です。元禄は、綱吉が将軍だったころの年号です。
- いつ:17 世紀の終わりごろ(綱吉のころ)
- どこ:上方(かみがた)、つまり京都・大阪が中心
- だれ:豊かな町人
お金を持った町人が、文化を楽しむようになったのです。大阪が商業の中心で、上方にお金が集まっていたことを思い出すと、流れがつながります。
4 人と作品(覚える)
代表の 4 人は、「何の作品か」で覚えます。
| 人物 | 何の作品か | 代表作 |
|---|---|---|
| 井原西鶴(いはらさいかく) | 浮世草子(うきよぞうし)という小説 | 町人の暮らしやお金もうけを書いた『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』 |
| 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん) | 人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)や歌舞伎の脚本(劇の台本) | 実際の事件をもとにした『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』 |
| 松尾芭蕉 | 俳諧(はいかい)、今でいう俳句の芸術性を高めた | 東北や北陸を旅して書いた『奥の細道』 |
| 菱川師宣(ひしかわもろのぶ) | 浮世絵で町人の風俗をえがいた | ふり返る女性をえがいた「見返り美人図」 |
菱川師宣は、江戸で活やくしました。元禄文化は上方が「中心」というだけで、全員が上方の人というわけではありません。
下は、菱川師宣の「見返り美人図」です。
問3 元禄文化の人物と作品を結ぼう
答えはすぐ下にあります。先に考えたい人は、上の表を見ないで、少し考えてみてください。
問3
元禄文化の人物と、その作品を結びましょう。
人物:①井原西鶴 ②近松門左衛門 ③松尾芭蕉 ④菱川師宣
作品:ア『奥の細道』 イ『日本永代蔵』 ウ「見返り美人図」 エ『曽根崎心中』
答え
①井原西鶴-イ『日本永代蔵』
②近松門左衛門-エ『曽根崎心中』
③松尾芭蕉-ア『奥の細道』
④菱川師宣-ウ「見返り美人図」
【注意】西鶴と近松を入れかえない
4 つの中で題に「蔵」があるのは『日本永代蔵』だけ → お金もうけの話を書いた西鶴と結ぶ目印
「何の作品か」で分ける
- 小説 → 西鶴
- 劇の脚本 → 近松
- 俳諧 → 芭蕉
- 絵 → 師宣
「見返り美人図」は「図」なので絵です。絵の人は菱川師宣です。『奥の細道』は、芭蕉が東北や北陸を旅しながら、俳諧をよんで書いた紀行文です。俳諧の作品なので芭蕉です。
注意:西鶴と近松を入れかえない
迷いやすいのは、西鶴と近松です。どちらも町人を書いた物語なので、入れかえてしまうのは自然なまちがいです。
ここでは、『日本永代蔵』の「蔵」に注目します。蔵は、お金や品物をしまう所です。さっき出てきた蔵屋敷の「蔵」と同じです。この 4 つの作品の中で、題に「蔵」があるのは『日本永代蔵』だけです。だから、これをお金もうけの話を書いた西鶴と結ぶ目印にします。そして、残った『曽根崎心中』が、劇の脚本を書いた近松です。
江戸時代の後半には、中心地も楽しむ人もちがう「化政文化」が出てきます。「新しい学問と化政文化・外国船の接近と天保の改革」の回で元禄文化とくらべるので、元禄文化は「上方・豊かな町人」と覚えておきましょう。
まとめ
この回の流れを、もう一度ふり返ります。
- 作物が増える
- お金が広まる
- ものが運ばれる
- 大阪に集まって売られる
- 町人の文化が生まれる
この回でできるようになったことは、次の 4 つです。
- 備中ぐわ・千歯こきを、形と働きで見分けられる
- 大阪が「天下の台所」とよばれた理由を、蔵屋敷を使って説明できる
- 元禄文化の 4 人と作品を、何の作品かで結べる
- 綱吉は貨幣の質を落とし、白石は元に戻した
覚える言葉がバラバラに見えたときは、この流れのどこに入るかを考えてみてください。思い出しやすくなります。あやふやなところがあったら、その見出しに戻って読み直すのもおすすめです。自分のペースで大丈夫です。
よくある質問
Q. 千歯こきと唐箕の働きが、いつもごちゃごちゃになります。
A. 「どの作業をする道具か」で分けましょう。稲の穂からもみを落とす(脱穀)のが千歯こき、もみと、もみがらなどを風で分けるのが唐箕です。千歯こきは「千歯=たくさんの歯」「こき=しごいて落とす」と、名前の中に働きが入っているので、名前から思い出せます。
Q. 西廻り航路と東廻り航路は、どう区別すればいいですか。
A. どちらも東北地方の日本海側から出発します。ちがうのは行き先と通る海峡です。西廻り航路は関門海峡・瀬戸内海を通って大阪へ、東廻り航路は津軽海峡を通り、太平洋側を回って江戸へ向かいます。大阪に年貢米を運びこんだのは西廻り航路だと覚えておくと、問2 の説明にも使えます。
Q. 綱吉と新井白石は、何をした人かが逆になってしまいます。
A. 綱吉は財政が苦しくなったので、貨幣の質を落として数を増やしました(その結果、物価が上がりました)。そのあとの白石は、貨幣の質を元に戻しました。「落とした → 戻した」の順番なので、先に出てきた綱吉が「落とした」ほう、と結びつけてセットで覚えましょう。
このシリーズについて
この記事は、シリーズの「基礎」の回です。このシリーズには「基礎」「入試基礎」「入試応用」の 3 段があります。続きの回も、順番に公開していきます。
画像の出典
- 菱川師宣・見返り美人図 — Wikimedia Commons (パブリックドメイン)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hishikawa_Moronobu_-_Beauty_Looking_Back_-_Google_Art_Project.jpg
解答・解説つきの演習プリント(別ページ)
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