中学2年

中学歴史|鎌倉時代【Step 1a】

栞先生

中2 社会|鎌倉時代|Step 1a

この記事でわかること

  • 源頼朝は1192年に征夷大将軍となり、武士初の政権「鎌倉幕府」を鎌倉に開いた
  • 将軍と御家人は土地を介した御恩(領地給付)と奉公(軍役・警備)という双務的な主従関係で結ばれていた
  • 元寇は防衛戦だったため新しい土地が得られず、恩賞不足が御恩と奉公を崩して幕府衰退を招いた

※ この記事は上の授業動画の内容をテキストで整理したものです。

栞先生
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御恩・奉公・守護・地頭——名前は知っていても、何がどれだかわからなくなっていませんか。

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この単元の位置づけです。

中2社会:鎌倉時代①
鎌倉幕府の成立から元寇まで

 中2 飛鳥・奈良時代
  ↓
 中2 平安時代
  ↓
▶ 中2 鎌倉時代(今回はここ)
  ↓
 中2 室町時代

鎌倉時代の主従関係:土地をめぐるやり取り

栞先生
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鎌倉時代の仕組みは、一人の武士と将軍の土地のやり取りとしてイメージすると理解しやすくなります。
  • Aさん、命がけで頼朝のために戦う
  • 頼朝「よく戦ってくれた、この土地はお前のものだ」→土地を与える
  • Aさんはその土地の収穫で生活する
  • 頼朝「戦に来い」「京都の警備をしろ」→今度はAさんが働く番
 頼朝
  ↓
 Aさん
  ↓
 数十年後の元寇では…?

源頼朝のために命がけで戦った武士は、戦後に土地を与えられました。その土地で生活が成り立つ一方、今度は頼朝から「戦に来い」「京都の警備をしろ」と命じられる番が来ます。「土地をもらう↔働きで返す」というこの行き来の関係が鎌倉時代の仕組みの核心であり、のちの元寇でその関係が崩れていきます。

鎌倉幕府の成立:1185年と1192年

栞先生
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1185年と1192年——この2つの年号、それぞれに何が起きたかすぐ答えられますか。

1185年 平氏滅亡→守護・地頭を設置
1192年 源頼朝が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命される
→鎌倉幕府 成立(武士による初の政権)
ここは覚えるしかないルール!

鎌倉幕府 成立までの流れ 1185年 平氏滅亡 守護・地頭を 設置 1192年 源頼朝 征夷大将軍に 任命される 鎌倉幕府 成立 武士による初の政権 (鎌倉に幕府を開く) ←平安時代末期 鎌倉時代→

1185年、平氏が滅亡し、源頼朝は全国に守護・地頭を設置しました。続いて1192年、頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命され、武士初の政権=鎌倉幕府が成立します。この2年号と出来事の対応は、理屈ではなく暗記で押さえてください。

確認クイズ①

栞先生
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1192年に源頼朝が朝廷から任命され、鎌倉幕府成立のきっかけとなった官職はどれですか。

【問題1】
1192年、源頼朝が朝廷から任命され、鎌倉に武士初の政権を開くきっかけとなった官職はどれか。

 任命された官職は?
  ↓
 ア 摂政
  ↓
 イ 関白
  ↓
 ウ 征夷大将軍
  ↓
 エ 執権

ア 摂政 イ 関白 ウ 征夷大将軍 エ 執権

解答①

栞先生
栞先生
正解は ウ 征夷大将軍 です。

正解:ウ 征夷大将軍
摂政・関白は平安時代に藤原氏が就いた官職
執権は北条氏が就いた別の役職

 任命された官職は?
  ↓
 ア 摂政
  ↓
 イ 関白
  ↓
 ウ 征夷大将軍
  ↓
 エ 執権

摂政・関白は平安時代に藤原氏が就いた役職、執権は北条氏が就く鎌倉幕府内の別の役職です。

守護と地頭:役割と設置単位の違い

栞先生
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守護と地頭——似たような名前ですが、設置単位も役割もまったく異なります。混同しやすいポイントです。

守護(しゅご)=国ごとに置かれ、軍事・警察を担当
地頭(じとう)=荘園・公領ごとに置かれ、年貢徴収・治安維持を担当
朝廷・荘園領主の支配と二重構造に
難しければこの図の対応だけ覚えればOK!

守護と地頭の役割 守 護 設置単位 国ごと 役 割 軍事・警察 御家人の統率 地 頭 設置単位 荘園・公領ごと 役 割 年貢徴収・治安 現地の管理 全国支配の二重構造 鎌倉幕府(武家) 将軍・御家人 朝廷・荘園領主(公家) 天皇・貴族・寺社 守護(国ごと) 地頭(荘園・公領ごと) =現地を軍事・治安で支配 荘園・公領 =年貢を都に納める 従来の支配も継続 同じ土地に 二重の支配

守護は国ごとに置かれ、軍事・警察と御家人の統率を担いました。地頭は荘園・公領ごとに置かれ、年貢の徴収と治安維持を担当します。この設置によって朝廷や荘園領主の支配がなくなったわけではなく、もとの支配の上に守護・地頭が重なる二重構造になった点が重要です。

確認クイズ②

栞先生
栞先生
鎌倉幕府が全国に置いた「守護」の役割として最も適切なものはどれですか。

【問題2】
鎌倉幕府が全国に置いた「守護」の役割として最も適切なものはどれか。

 守護の役割は?
  ↓
 ア 国ごとに軍事・警察
  ↓
 イ 荘園・公領ごとに年貢徴収
  ↓
 ウ 京都で朝廷を監視
  ↓
 エ 将軍を補佐し実権を握る

ア 国ごとに軍事・警察 イ 荘園・公領ごとに年貢徴収 ウ 京都で朝廷を監視 エ 将軍を補佐し実権を握る

解答②

栞先生
栞先生
正解は ア(国ごとに軍事・警察)です。

正解:ア 国ごとに軍事・警察を担当
イは地頭、ウは六波羅探題、エは執権の役割

 守護の役割は?
  ↓
 ア 国ごとに軍事・警察
  ↓
 イ 荘園・公領ごとに年貢徴収
  ↓
 ウ 京都で朝廷を監視
  ↓
 エ 将軍を補佐し実権を握る

イは地頭の役割、ウは六波羅探題の役割、エは執権の仕事です。

御恩と奉公:双務的な主従契約

栞先生
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御恩と奉公に出てくる「双務的な契約」とは、どういう意味でしょう。

御恩(ごおん)=領地の保証・新恩給与
奉公(ほうこう)=軍役・京都大番役
将軍と御家人(ごけにん)——武士同士の主従関係
土地を仲立ちにした双務的な契約(ここは理解が必要!)

将軍と御家人の主従関係 〜土地を介した双務関係〜 将 軍 (源頼朝など) 主人 御家人 (武士) 従者 土 地 関係の要(かなめ) 御 恩 領地の保証・新恩給与 奉 公 軍役・京都大番役 土地を仲立ちとする双務的な主従関係

将軍が御家人(将軍に仕える武士)に先祖代々の領地を保証したり新しい領地を与えたりすることを御恩、御家人が軍役や京都大番役(京都の警備)で返すことを奉公といいます。土地を仲立ちにして将軍と御家人の双方が義務を負う——これが「双務的な契約」の意味です。農民や一般民衆ではなく、武士同士の関係であることも押さえてください。

確認クイズ③

栞先生
栞先生
将軍が御家人に先祖代々の領地を保証したり新しい領地を与えたりすることを何といいますか(漢字2字)。

【問題3】
将軍が御家人に対して、先祖代々の領地を保証したり、新しい領地を与えたりすることを何というか。漢字2字で答えなさい。

 将軍
  ↓
 御家人

解答③

栞先生
栞先生
正解は 御恩 です。御家人が軍役・警備で返すことを「奉公」といい、この2語はセットで覚えましょう。

正解:御恩
領地の保証・新恩給与のことを御恩という

 将軍
  ↓
 御家人

執権政治:北条氏が幕府の実権を握る

栞先生
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源氏の将軍は、わずか3代で途絶えます。

源氏の将軍は3代で断絶(頼朝→頼家→実朝)
実権は執権(しっけん)=北条氏へ移る
北条時政→義時→泰時→時宗と続く
難しければこの図の対応だけ覚えればOK!

源氏将軍の断絶と北条氏の執権政治 実権は将軍から執権(北条氏)へ 源氏将軍 3代 初代 源頼朝 1192年 征夷大将軍 鎌倉幕府を開く → 2代 頼家 母は北条政子 若くして廃される → 3代 実朝 1219年 暗殺 源氏将軍 断絶 源氏 断絶 実権が移る 北条氏 執権政治 北条時政 初代執権 頼朝の妻・政子 の父 → 北条義時 2代執権 1221年 承久の乱に勝利 → 北条泰時 3代執権 1232年 御成敗式目を制定 → 北条時宗 8代執権 1274・1281年 元寇を退ける 1203頃 1221 1232 1274/81 執権 = 将軍を補佐し、幕府の実権を握った北条氏の役職

3代将軍実朝が1219年に暗殺されると、将軍位は続くも実権は執権に就く北条氏に移りました。初代執権北条時政から義時・泰時・時宗へと引き継がれ、義時は承久の乱を制し、泰時は御成敗式目を制定し、時宗は元寇を退けました。名前と出来事をセットで対応させて覚えてください。

承久の乱:幕府の支配が西国へ拡大

栞先生
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朝廷は、武士の政権をどう見ていたのでしょう。

1221年 承久の乱(じょうきゅうのらん)——後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が幕府打倒を企てるも敗北
京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)を設置
幕府の支配が西国にも拡大
難しければこの図の対応だけ覚えればOK!

承久の乱(1221年)と六波羅探題の設置 朝廷軍(京都) 後鳥羽上皇 幕府打倒を掲げて挙兵 西国の武士に動員令 VS 幕府軍(鎌倉) 北条義時(2代執権) 政子の呼びかけで結束 東国御家人が大挙上洛 幕府軍 勝利 ▼ 幕府支配の広がり 西国(京都・西日本) 六波羅探題を設置 朝廷の監視・西国御家人の統率 上皇方の所領を没収 → 東国御家人を地頭に任命 支配拡大 東国(鎌倉) 鎌倉幕府 従来からの本拠地 全国的な武家政権へ 朝廷に対する優位が確立

1221年、後鳥羽上皇が幕府打倒を掲げ挙兵しましたが、2代執権北条義時率いる幕府軍が勝利しました(承久の乱)。乱後、幕府は京都に六波羅探題を設置して朝廷を監視し、支配は東国中心から西国にも拡大しました。「乱の前は東国中心、乱後に西国まで拡大」という変化の向きを正確に覚えてください。

確認クイズ④

栞先生
栞先生
1221年、後鳥羽上皇が幕府打倒のために挙兵し北条氏率いる幕府軍に敗れた事件はどれですか。

【問題4】
1221年、後鳥羽上皇が幕府を倒そうとして挙兵したが、北条氏率いる幕府軍に敗れた事件はどれか。

 1221年の事件は?
  ↓
 ア 保元の乱
  ↓
 イ 平治の乱
  ↓
 ウ 承久の乱
  ↓
 エ 平将門の乱

ア 保元の乱 イ 平治の乱 ウ 承久の乱 エ 平将門の乱

解答④

栞先生
栞先生
正解は ウ 承久の乱 です。

正解:ウ 承久の乱
保元の乱・平治の乱・平将門の乱はいずれも平安時代の出来事

 1221年の事件は?
  ↓
 ア 保元の乱
  ↓
 イ 平治の乱
  ↓
 ウ 承久の乱
  ↓
 エ 平将門の乱

保元の乱・平治の乱・平将門の乱はいずれも平安時代の出来事で、鎌倉時代の承久の乱とは時代が異なります。

御成敗式目:武士のための法律

栞先生
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武士のもめごとを武士のルールで裁くために、独自の法律が必要とされました。

1232年 北条泰時が御成敗式目(ごせいばいしきもく)を制定
先例と道理に基づく武士のための法
朝廷の律令とは別体系(貴族向けは律令のまま)
難しければこの図の対応だけ覚えればOK!

御成敗式目(1232年・北条泰時) 武士のための独自の法 ─ 朝廷の律令とは別の体系 朝廷の律令 〜 従来からの法体系 〜 対象:貴族・朝廷 もとは唐(中国)の法 京都で運用 ※ 引き続き存続 武士の御成敗式目 〜 武家独自の法 〜 対象:武士(御家人) 北条泰時が制定(1232年) 鎌倉幕府で運用 全51か条・裁判の基準 ≠ 別体系 基づくもの 先例 武士社会の慣習 道理 武士社会の常識 ポイント 武士のもめごとを 武士のルールで裁くための 公平な裁判の基準

1232年、3代執権北条泰時が御成敗式目(全51か条)を制定しました。武士社会の慣習(先例)と道理に基づく武士専用の法律で、裁判の基準を明確にしました。朝廷の律令(対象:貴族・朝廷)とは別体系であり、「北条泰時・1232年・武士のための法」の組み合わせを覚えてください。

確認クイズ⑤

栞先生
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1232年に北条泰時が制定した、武士社会の先例と道理に基づく武士のための法律を漢字5字で答えなさい。

【問題5】
1232年、北条泰時が制定した、武士社会の慣習(先例)と道理に基づく武士のための法律を漢字5字で答えなさい。

 北条泰時(1232年)
  ↓
 武士のための法(漢字5字)

解答⑤

栞先生
栞先生
正解は 御成敗式目 です。先例と道理に基づき武士の裁判基準を定めた、武士社会の法律です。

正解:御成敗式目
先例と道理に基づき、武士の裁判の基準を明確にした法

 北条泰時(1232年)
  ↓
 御成敗式目

元寇:勝利したのに幕府が衰退した理由

栞先生
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元寇では幕府は勝利しました。それなのに、なぜその後に幕府は衰退していったのでしょう。

元寇(げんこう)=文永の役(ぶんえいのえき・1274年)・弘安の役(こうあんのえき・1281年)
集団戦法・火薬兵器に苦戦
防衛戦のため新しい領地が得られず、恩賞(御恩)が不足
→御恩と奉公の関係が崩れ、幕府が動揺(ここは理解が必要!)

元寇(モンゴル襲来)と幕府の動揺 2度の襲来 → 恩賞不足 → 御恩と奉公の崩壊 文永の役(1274年) 1回目のモンゴル襲来 執権:北条時宗 博多湾に上陸 → 撤退 弘安の役(1281年) 2回目のモンゴル襲来 執権:北条時宗 石塁で防戦 → 暴風雨で退却 元軍の戦い方 ─ 御家人を苦しめた 集団戦法 火薬兵器「てつはう」 暴風雨(神風) 防衛戦のため新しい領地が得られない 元を撃退しただけで、奪った土地は無い 恩賞(御恩)が足りない 戦った御家人に十分な土地を与えられない 御恩と奉公の主従関係が崩壊 → 幕府の衰退へ

1274年の文永の役・1281年の弘安の役と、元(モンゴル帝国)が二度にわたり日本を襲来しました(元寇)。8代執権北条時宗のもと、御家人たちは集団戦法や火薬兵器「てつはう」に苦しみながらも防衛に成功しました。

しかしこれは防衛戦でした。新たな土地を奪っていないため、幕府は御家人に十分な恩賞(御恩)を与えられませんでした。御恩が届かなければ奉公する意義が失われ、御恩と奉公の主従関係が崩れます。御家人の不満が積み重なり幕府は動揺していきました。「勝ったのに土地がもらえない→御恩と奉公の崩壊→幕府衰退」という因果の流れを、自分の言葉で説明できるようにしてください。

確認クイズ⑥

栞先生
栞先生
1281年の弘安の役で、幕府の執権として元軍を迎え撃った人物はだれですか。

【問題6】
1281年の弘安の役で、幕府の執権として元軍を迎え撃った人物はだれか。

 弘安の役の執権は?
  ↓
 ア 北条時宗
  ↓
 イ 北条泰時
  ↓
 ウ 北条義時
  ↓
 エ 北条時政

ア 北条時宗 イ 北条泰時 ウ 北条義時 エ 北条時政

解答⑥

栞先生
栞先生
正解は ア 北条時宗 です。

正解:ア 北条時宗
イ泰時は御成敗式目、ウ義時は承久の乱、エ時政は初代執権

 弘安の役の執権は?
  ↓
 ア 北条時宗
  ↓
 イ 北条泰時
  ↓
 ウ 北条義時
  ↓
 エ 北条時政

泰時=御成敗式目制定、義時=承久の乱、時政=初代執権——名前と出来事をセットで覚えましょう。

よくある間違い:2つの誤解を解く

栞先生
栞先生
「元寇に負けたから幕府が衰退した」——そう思っていませんでしたか。

×承久の乱の前から幕府が全国を支配していた
×元寇に負けたから幕府が衰退した

○承久の乱の後、六波羅探題を設置→西国にも支配拡大
○元寇は勝ったが防衛戦で新領地なし→恩賞不足→御恩と奉公が崩れ幕府動揺

 元寇で勝利(防衛戦)
  ↓
 新しい領地なし
  ↓
 恩賞(御恩)不足
  ↓
 御恩と奉公が崩れる
  ↓
 幕府が動揺

①「承久の乱の前から幕府が全国を支配していた」は誤りです。西国への支配拡大は乱後に六波羅探題が設置されてからです。②「元寇に負けたから幕府が衰退した」も誤りです。幕府は元寇に勝利しましたが、防衛戦ゆえに新しい領地が得られず、恩賞不足で御恩と奉公が崩れたことが衰退の原因です。「負けたから」ではなく「勝っても土地がもらえなかったから」という因果関係を正確に押さえてください。

まとめ:原因と結果のひとつながり

栞先生
栞先生
今日学んだ内容を、一本の流れとして振り返ってみましょう。

・源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉幕府(武士初の政権)を開いた
・御恩と奉公という土地を介した主従関係が武士社会の土台
・北条氏の執権政治→承久の乱で西国にも支配拡大→御成敗式目で武士の法を整備
・元寇では勝ったが新領地なし→恩賞不足→御恩と奉公が崩れ幕府が動揺

自己点検:『土地の契約が守れなくなると武士は幕府をどう見るか』が自分の言葉で言えたら今日はOK!

 源頼朝 鎌倉幕府成立
  ↓
 御恩と奉公
  ↓
 執権政治
  ↓
 承久の乱 支配拡大
  ↓
 御成敗式目
  ↓
 元寇 恩賞不足
  ↓
 幕府が動揺

源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉幕府を開き、将軍と御家人は御恩と奉公で結ばれました。源氏断絶後は北条氏の執権政治へ移行し、承久の乱で西国へ支配が拡大、御成敗式目で武士の法が整備されました。そして元寇での恩賞不足が御恩と奉公を崩し、幕府の衰退につながります。「防衛戦で勝っても土地がもらえないとどうなるか」——これを自分の言葉で説明できれば、今日の学習は完成です。

よくある質問

御恩と奉公はどのような関係ですか?

将軍が御家人に土地を与える(御恩)のと引き換えに、御家人が軍役や警備で返す(奉公)という双務的な主従契約です。土地が関係の仲立ちであり、どちらか一方だけが義務を負うのではなく、双方が義務を持ちます。

元寇で幕府が勝利したのに衰退したのはなぜですか?

元寇は防衛戦だったため新たな土地を獲得できず、幕府は御家人への恩賞(御恩)を十分に準備できませんでした。御恩が届かなければ御恩と奉公の主従関係が機能せず、御家人の不満が高まって幕府が動揺したためです。

守護と地頭はどう違いますか?

守護は国ごとに置かれ軍事・警察を担う役職、地頭は荘園・公領ごとに置かれ年貢徴収と治安を担う役職です。設置単位(国 vs 荘園・公領)と担当(軍事・警察 vs 年貢・治安)をセットで覚えると区別しやすくなります。

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解答・解説つきの演習プリント(別ページ)

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