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中学歴史|平安時代【Step 1c】

栞先生

中2 社会|平安時代|Step 1c

この記事でわかること

  • 摂関政治→院政→平氏政権→源氏と実権が移り、1185年の壇ノ浦で武家政権の時代が始まった
  • 院政は退位した上皇が院庁を拠点に動かす仕組みで、外戚が実権を持つ摂関政治とは根拠が異なる
  • 武士は地方の乱を鎮めた功績で朝廷に認められ、保元・平治の乱を経て中央政治に進出した

※ この記事は上の授業動画の内容をテキストで整理したものです。

栞先生
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藤原氏・天皇・上皇・平氏・源氏と、この時代は登場人物が一気に増え「結局だれが実権を握っているの?」と迷子になりやすい場面です。

学習マップ

この単元の位置づけです。

武士はなぜ登場したの?
[POINT:opening-answer] →地方の争いをしずめた武士が
 中央にも認められていった
【今日のテーマ】院政と武士の時代へ

迷ったら→関連リンク「①摂関政治」も見てね

 旧石器〜古墳時代
  ↓
 飛鳥・奈良時代
  ↓
 平安時代①② 摂関政治・国風文化
  ↓
 [POINT:map-now] 中2 平安時代③ 院政・武士の台頭
  ↓
 鎌倉時代

摂関政治のおさらい

栞先生
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まず、実権の出発点を確認しておきましょう。

【前回までのおさらい】
摂関政治(せっかんせいじ)=藤原氏が
天皇の外戚(がいせき)(母方の親せき)
となり実権をにぎった政治
→この“実権”、この後どうなる?

 藤原氏 (天皇の外戚)
  ↓
 摂政・関白として 実権をにぎる
  ↓
 ? このあと実権は 誰が握る?

摂関政治とは、藤原氏が天皇の外戚(母方の親族)となり、摂政関白として朝廷の実権を握った政治の仕組みです。娘を天皇の后にし、生まれた孫を次の天皇にするという血縁関係が実権の根拠でした。「誰が、何を根拠に実権を持っているか」という視点を持つと、この後の歴史が読みやすくなります。

武士の登場——地方の乱と中央への進出

栞先生
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10世紀の地方では、朝廷が想定していなかった変化が起きていました。

地方の武装した豪族が力を強め
武士団(ぶしだん)を形成
→平将門(たいらのまさかど)の乱(関東)
→藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱(瀬戸内海)
(どちらも10世紀)
【なぜ認められた?】
乱をしずめたのも武士→朝廷が頼るように

武士の台頭:地方から中央へ 中央(都) 地方 武士の中央進出 時代 平将門の乱 藤原純友の乱 10世紀 白河上皇 院政の開始 1086年 保元の乱・平治の乱 上皇・貴族の争いに 武士が動員される 12世紀半ば 平清盛 武士初の太政大臣 平氏政権の頂点 1167年 壇ノ浦の戦い 源氏が平氏を滅ぼす 1185年

地方で武装した豪族が力をつけ、武士団を形成するようになりました。代表的な反乱が、関東の平将門の乱と瀬戸内海の藤原純友の乱です。重要なのは、この乱を鎮めたのもまた武士だったという点です。自前の兵力だけでは対応できなかった朝廷が武士を頼るようになり、これが武士が中央に認められていくきっかけとなりました。

確認クイズ①

栞先生
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平将門の乱・藤原純友の乱が、その後の政治に与えた影響として正しいものを選びなさい。

【確認問題①】
10世紀に起こった平将門の乱・藤原純友の乱が、その後の政治に与えた影響として正しいものを選びなさい。

ア: 反乱を鎮めるために働いた武士たちが朝廷に認められ、武士が中央の政治にも進出していくきっかけとなった。
イ: 朝廷は反乱を鎮めることができず、以後武士は朝廷から完全に切り離された存在となった。
ウ: 反乱をきっかけに藤原氏がすべての権力を失い、摂関政治はこの時点で終わった。
エ: 反乱をきっかけに白河上皇が院政を始め、上皇が武士を率いて政治を行う時代が始まった。

 10世紀 平将門の乱・藤原純友の乱
  ↓
 ? その後の影響は?

ア 反乱を鎮めた武士が朝廷に認められ、中央政治にも進出するきっかけとなった。 イ 朝廷は反乱を鎮められず、武士は朝廷から切り離された存在となった。 ウ 反乱をきっかけに藤原氏の権力が失われ、摂関政治はこの時点で終わった。 エ 反乱をきっかけに白河上皇が院政を始め、武士を率いる時代が始まった。

答え①

栞先生
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正解は。乱を鎮めた武士が朝廷に認められ中央政治へ進出するきっかけとなった。イは逆(朝廷はむしろ武士を頼るようになった)、ウは時期の誤り、エは10世紀の乱と院政開始(1086年)の年代混同です。

[POINT:ans-bushi-correct] 正解:ア
反乱を鎮めた武士が朝廷に認められ、
中央の政治に進出するきっかけとなった

選択肢ズレているポイント
[POINT:ans-bushi-i] 朝廷が武士を排除したという逆の内容。実際は武士を頼るようになった。
[POINT:ans-bushi-u] 摂関政治の終わりと時期を混同。藤原氏の力はまだ続いていた。
[POINT:ans-bushi-e] 院政の開始(1086年)と10世紀の乱を混同。時期が違う。

院政の始まり——1086年、白河上皇

栞先生
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「位を退いたのに、なぜまだ権力を持てるのか」——これが院政を理解するための最初の問いです。

1086年、白河上皇(しらかわじょうこう)が
天皇の位を子にゆずった
→上皇として院庁(いんのちょう)で
 政治の実権をにぎる
【この仕組み=院政(いんせい)】
※摂関政治とは実権の根拠が違う

摂関政治と院政のしくみ比較 摂関政治 藤原氏の全盛期 院政 1086年〜 白河上皇 公式のトップ (表向きの地位) 天皇 幼い天皇が即位することも 若い天皇 上皇が位をゆずった相手 実際に動かす人 (実権を握る人) 藤原氏 摂政・関白として 朝廷を動かす 上皇 退位した元天皇が 院庁から命令 権力の根拠 (なぜ実権を握れる?) 天皇の外戚 (母方の親族) 娘を天皇の后にして 孫を天皇にする 天皇の父・祖父 (自らも元天皇) 院庁を拠点に 直接指示を出す
武士の台頭:地方から中央へ 中央(都) 地方 武士の中央進出 時代 平将門の乱 藤原純友の乱 10世紀 白河上皇 院政の開始 1086年 保元の乱・平治の乱 上皇・貴族の争いに 武士が動員される 12世紀半ば 平清盛 武士初の太政大臣 平氏政権の頂点 1167年 壇ノ浦の戦い 源氏が平氏を滅ぼす 1185年

1086年白河天皇は位を子に譲り上皇となりましたが、政治の実権は手放しませんでした。院庁という独自の拠点から政治を動かし続けたこの仕組みを院政といいます。摂関政治との最大の違いは「実権の根拠」にあります。摂関政治は外戚という血縁関係が根拠でしたが、院政は上皇自身の権威が根拠であり、藤原氏のような仲介者は必要ありません。白河上皇と1086年はセットで押さえておきましょう。

確認クイズ②

栞先生
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1086年に天皇の位を子に譲り、上皇として院庁で政治の実権を握り、初めて院政を行った人物を「〜上皇」まで含めて漢字で答えなさい。

【確認問題②】
1086年に天皇の位を子にゆずり、みずからは上皇として院庁で政治の実権を握って院政を初めて行った人物を、称号の「〜上皇」まで含めて漢字で答えなさい。

 1086年
  ↓
 天皇の位を 子にゆずる
  ↓
 ?上皇 (院政開始)

答え②

栞先生
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正解は白河上皇。1086年に位を譲り、院庁から政治を動かした院政の創始者です。

[POINT:ans-insei1-correct] 正解:白河上皇
1086年に譲位し、上皇として
院政を開始した人物

 1086年
  ↓
 天皇の位を 子にゆずる
  ↓
 白河上皇 (院政開始)

確認クイズ③

栞先生
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「院政」の仕組みの説明として正しいものを選びなさい。

【確認問題③】
「院政」の仕組みの説明として正しいものを選びなさい。

ア: 藤原氏が天皇の外戚となって、摂政や関白として朝廷の政治の実権を握る仕組み。
イ: 天皇の位を退いた上皇が、院庁を拠点にして政治の実権を握る仕組み。
ウ: 位についている天皇自身が、摂政や関白に頼らず自ら朝廷の政治を直接行う仕組み。
エ: 律令に基づいて朝廷が全国に役人を送り、天皇を中心に地方まで直接政治を行う仕組み。

 藤原氏 (外戚)
  ↓
 在位中の 天皇自身
  ↓
 上皇 (院庁)
  ↓
 律令による 地方統治
  ↓
 ? 院政のしくみは どれ?

ア 藤原氏が天皇の外戚となり、摂政・関白として朝廷の実権を握る仕組み。 イ 天皇の位を退いた上皇が、院庁を拠点にして政治の実権を握る仕組み。 ウ 位についている天皇自身が、摂政・関白に頼らず直接政治を行う仕組み。 エ 律令に基づき朝廷が全国に役人を送り、天皇を中心に政治を行う仕組み。

答え③

栞先生
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正解は。院政は退位した上皇が院庁を拠点に実権を握る仕組みです。アは摂関政治、ウは天皇親政、エは律令政治の説明であり、混同に注意しましょう。

[POINT:ans-insei2-correct] 正解:イ
退位した上皇が院庁を拠点に
実権をにぎるのが院政

選択肢ズレているポイント
[POINT:ans-insei2-a] 摂関政治(藤原氏の外戚政治)との混同。院政の主体は上皇。
[POINT:ans-insei2-u] 実権を持つのは在位中の天皇ではなく、退位した上皇という誤解。
[POINT:ans-insei2-e] 律令に基づく朝廷政治との混同。院政は院庁という拠点で動く点が特徴。

保元の乱・平治の乱——武士の政治的地位の上昇

栞先生
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上皇と貴族の対立が、武士を歴史の表舞台へと引き出していきます。

12世紀半ば、
保元の乱(ほうげんのらん)・
平治の乱(へいじのらん)が発生
→上皇や貴族の争いに武士が動員される
→武士の政治的な地位が上昇
(源氏・平氏がそれぞれ敵味方に
 分かれて戦うこともあった)

武士の台頭:地方から中央へ 中央(都) 地方 武士の中央進出 時代 平将門の乱 藤原純友の乱 10世紀 白河上皇 院政の開始 1086年 保元の乱・平治の乱 上皇・貴族の争いに 武士が動員される 12世紀半ば 平清盛 武士初の太政大臣 平氏政権の頂点 1167年 壇ノ浦の戦い 源氏が平氏を滅ぼす 1185年

12世紀半ば、上皇や貴族の権力争いに武士が動員される戦いが相次ぎました。保元の乱平治の乱です。これらを通じて武士の政治的地位はさらに高まりました。なお、この時点では源氏平氏は常に敵対していたわけではなく、争いの場面によって敵味方が分かれていました。

平清盛の台頭——武士として初めて太政大臣に

栞先生
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平氏の勢力が増す中、武士の歴史に前例のない一歩が踏み出されます。

平清盛(たいらのきよもり)が
武士として初めて太政大臣(だいじょうだいじん)に就任
→日宋貿易(にっそうぼうえき)で
 平氏の経済基盤を築く
※武士による政権のやり方は
 まだ確立していなかった

武士の台頭:地方から中央へ 中央(都) 地方 武士の中央進出 時代 平将門の乱 藤原純友の乱 10世紀 白河上皇 院政の開始 1086年 保元の乱・平治の乱 上皇・貴族の争いに 武士が動員される 12世紀半ば 平清盛 武士初の太政大臣 平氏政権の頂点 1167年 壇ノ浦の戦い 源氏が平氏を滅ぼす 1185年

平清盛は武士として初めて太政大臣に就任しました。また日宋貿易を推進して平氏の経済基盤を強化しました。ただし清盛が権力を握った方法は「太政大臣」という貴族の仕組みを利用したものであり、武士独自の政権の仕組みはまだ確立していませんでした。平清盛の名と「太政大臣・日宋貿易」はセットで覚えましょう。

確認クイズ④

栞先生
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武士として初めて太政大臣になり、日宋貿易を進めて平氏の政権を築いた人物を漢字で答えなさい。

【確認問題④】
武士として初めて太政大臣になり、日宋貿易を進めて平氏の政権を築いた人物を、漢字で答えなさい。

 武士として初めて
  ↓
 ? 太政大臣に就任
  ↓
 日宋貿易で 経済基盤を築く

答え④

栞先生
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正解は平清盛。武士初の太政大臣として日宋貿易を推進し、平氏政権を確立した人物です。

[POINT:ans-kiyomori-correct] 正解:平清盛
武士として初の太政大臣となり、
日宋貿易で平氏の経済基盤を築いた

 武士として初めて
  ↓
 平清盛 太政大臣に就任
  ↓
 日宋貿易で 経済基盤を築く

壇ノ浦の戦い——平氏の滅亡と武家政権の始まり

栞先生
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平氏の権力独占は強い反発を生み、全国規模の争いへと発展していきます。

平氏が政権を独占したことへの
反発が広がり、源氏を中心に
平氏を倒す動きが全国に拡大
→これが源平(げんぺい)の争い
1185年、壇ノ浦(だんのうら)の戦いで
平氏が滅亡→武家政権の時代へ

武士の台頭:地方から中央へ 中央(都) 地方 武士の中央進出 時代 平将門の乱 藤原純友の乱 10世紀 白河上皇 院政の開始 1086年 保元の乱・平治の乱 上皇・貴族の争いに 武士が動員される 12世紀半ば 平清盛 武士初の太政大臣 平氏政権の頂点 1167年 壇ノ浦の戦い 源氏が平氏を滅ぼす 1185年

源氏を中心とする反平氏の動きが全国に広がり、源平の争いが激化しました。そして1185年壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡し、時代は武家政権へと向かいます。「1185年・壇ノ浦・平氏の滅亡」はセットで押さえておきましょう。

確認クイズ⑤

栞先生
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1185年、源氏が平氏を滅ぼした源平の争いの最後の戦いを何というか、答えなさい。

【確認問題⑤】
1185年、源氏が平氏を滅ぼし、平氏の政権が完全に終わることになった源平の争いの最後の戦いを何というか、答えなさい。

 源平の争い
  ↓
 1185年
  ↓
 ?の戦い (平氏滅亡)

答え⑤

栞先生
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正解は壇ノ浦の戦い。源氏が平氏を滅ぼし、武家政権の時代への扉が開かれた戦いです。

[POINT:ans-dannoura-correct] 正解:壇ノ浦の戦い
源氏が平氏を滅ぼし、
武家政権の時代への扉が開かれた

 源平の争い
  ↓
 1185年
  ↓
 壇ノ浦の戦い (平氏滅亡)

まとめ——実権の担い手はどう変わったか

栞先生
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ここまでの流れを「実権の担い手の変化」という一本の軸で整理してみましょう。

まとめ
①摂関政治→院政(白河上皇、1086年〜)
②武士の台頭→保元・平治の乱で地位上昇
③平清盛の平氏政権→源平の争いで滅亡
【自己点検】
「武士はなぜ登場した?」
→自分の言葉で説明できたらOK!

権力の担い手の移り変わり 藤原氏 摂政・関白 (摂関政治) 上皇 1086年〜 白河上皇 (院政) 平氏 平清盛が太政大臣 (武士の政権) 武家政権 1185年 壇ノ浦 (次の時代へ) 権力の根拠 外戚関係 娘を天皇の后に 上皇の権威 院庁から直接指示 武力と経済力 武士+日宋貿易 武士の力 源氏へ受け継がれる 貴族の力 → 武士の力へ 権力の担い手が、貴族(藤原氏)から武士(平氏・源氏)へと移り変わっていく

藤原氏(摂関政治:外戚という血縁が根拠)→ ②白河上皇(院政、1086年〜:上皇の権威が根拠)→ ③平清盛・平氏(太政大臣就任・日宋貿易)→ ④源氏(壇ノ浦、1185年)という順に実権が移り変わりました。権力の担い手が貴族から武士へと移るこの流れが、この単元の核心です。「武士はなぜ登場したのか」を自分の言葉で説明できれば、理解は十分です。

よくある質問

摂関政治と院政はどう違うのですか?

摂関政治は藤原氏が天皇の外戚という血縁関係を根拠に摂政・関白として実権を握った仕組みです。院政は天皇の位を退いた上皇が院庁を拠点に直接実権を握る仕組みで、藤原氏のような仲介者は必要ありません。「血縁が根拠か、上皇自身の権威が根拠か」が最大の違いです。

なぜ武士が中央の政治に進出できたのですか?

10世紀に起きた平将門の乱・藤原純友の乱を鎮めたのが武士だったからです。自前の兵力では対処できない朝廷が武士を頼るようになり、その功績で武士が朝廷に認められました。保元の乱・平治の乱でもたびたび武士が動員されるたびに政治的地位が高まり、やがて平清盛が太政大臣に就くに至りました。

保元の乱・平治の乱・壇ノ浦の戦いはどんな流れでつながりますか?

12世紀半ばの保元の乱・平治の乱で上皇や貴族の争いに武士が動員され、平清盛が台頭しました。平氏の権力独占への反発が源平の争いを引き起こし、1185年の壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡しました。「武士が動員される→地位向上→平氏台頭→権力独占→反発→滅亡→武家政権」という因果の連鎖です。

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  • Step 1c(この記事)

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